会議の話

 昨日、会議が4つあった。大きな会議が午前中に終わらず、午後にまでもつれ込んだ。その後、女性役員が座長の小さな会議があり、その後、やや格付けの高い会議があり、4つめは社外役員の内内の打ち合わせがあった。

  その経緯を話す前に、5月26日の日記に書いた司馬遼太郎ざんと新田次郎さんの達人同士のやり取りのことに触れたい。

 

 司馬遼太郎さんが大阪産経新聞の記者だったころ、売出し中の新田次郎さんに原稿依頼をするために上京することがあった。夕刊の連載小説に新田さんを起用したというのが、司馬さんのプランであり、それが採用されたので勇んで気象庁を訪問したのである。当時、まだ新田さんは気象庁の課長だった。仕事の合間に書かれた『強力伝』であっさりと直木賞を受賞されていた。やっぱ、才能のある人ってのは凄いっすねぇ(泣)。

 ワシャの気持ちなどどうでもいい。司馬さんと新田さんのやり取りの話である。司馬さんは社命で新田さんを口説くために東京出張をしている。かたや新田さんは気象庁の仕事もあるので、新聞小説を毎日書くほどの時間的余裕がない。説得する司馬、断る新田の静かであるが火花散るやり取りは、司馬さんに言わせると「数学の講義のようでもあった」という印象のようだ。そこの部分を引く。

 

 数学の講義のようでもあった。一年は三百六十五日しかないというのが、聴き手の私の唯一の数学知識である。新田さんは、それを精密に区分した。

 そのうちの睡眠時間と勤務時間をさしひいてみせたうえで、その残った時間が、創作の執筆の時間である、という。ところがその時間に、現在予定している仕事の必要時間を入れると、ほぼ詰まる。

 伺いながら、少し端数が残るようにおもわれた。そのことをかぼそく指摘すると、

「それはですね」

 新田さんは、かすかに微笑された。

「私は、若いころから、年に平均して四、五回は風邪をひきます。ひくと、一回に四、五日は仕事に手をつけられない。そのために予備としてそれだけの時間を控えておく必要があります」

 体系美を感じさせるような断り方で、私はむろんひきさがり、店先の路上で別れたあと、どういうわけが、「詩三百、思ヒ邪(よこしま)ナシ」ということばが、脳裏にうかんだ。

 

 以上、司馬さんの文章である。書き写していると、心が洗われてくる。ワシャにとっては写経のようなものですね。朝日新聞なんか描き写さずに、司馬さんのエッセイを書き写す方がよぼど 文章の鍛錬にもなるし、精神衛生上もよろしかろう。思想も柔軟になってくるよ。そんなこともどうでもいいか。

 書き写した文章の末尾のことである。店先で別れたところまででよかったのだが、文章が切れておらず、「詩三百・・・」がうかぶまで書かざるをえなかった。

 せっかく触れたので、この「ことば」を説明しておくと、論語の為政編に出てくるフレーズで、訳せば――詩経300編の表しているものは様々だが、その根底にあるものは「偽りのない心」という一句に集約される――というようなことになろうか。

 つまり、司馬さんは、新田さんの断りの説明に「偽りのない心」を感じ入ったということであろう。

 このことは、ワシャの言いたいこととは関係がない。蛇足である。蛇足ばっかりですいません。

 

 長くなっているが、この二人のやり取りには無駄がなかった。「連載小説を受けられない」という自分の意志をとおすために、きっちりと1年を区分けしてみせた新田さん、その説明に隙間があることを指摘した司馬さん、そしてその隙間を説明しきった新田さん、さらにすっぱりと見切った司馬さん、やはり見事な人物は見事である。

 ワシャはせっかちが服を着て歩いているような男なので、こういったやり取りがいい。意志の疎通の早い人と話していると疲れないし、かえって楽しいくらいだ。

 

 で、ようやく冒頭の会議の話に移っていくわけだが、会議内容は15分程度ですむ話だった。それが1時間を超えてもまだ終わらない。司会進行が慣れていないとこういう結果になると典型のような会議になった。いつまで経っても話がまとまらず、それぞれのメンバーにコメントを求めても、それが整理できない。時間はだらだらと過ぎていくばかり。司会は悪い人ではないんですよ。日常の社会であれば、まずいい人と言われる。性格も温厚だし、控え目だし。しかし、司会には控え目はマイナス要因であろう。

 まな板の上の鯛を「アラサッサァ!」と捌いて、刺身にするそんな職人技が必要なのである。だが、年功序列の社会になると、年功だけでそういった職責に座らされてしまう。これは双方にとって不幸なことである。

 

 会議は短めに、話は簡潔に。ダラダラ長いのは牛の小便だけで結構だ!