作為のある文

 毎日毎日、朝日の駄コラムに引っ掛かっているほど暇ではないんですよ。書きたいことは他にたんまりとあるんじゃが、昨日に引き続き、今日も「ムカッ!」ときたので書き起こすことにした。

 

 今朝の「天声人語」である。ウクライナ旅客機撃墜事件をネタに書いている。要旨はこうだ。

ウクライナ機が墜落した。乗客・乗員全員が死亡。イランが誤ってミサイル撃墜したと米国が言っている。亡くなった方にはこんな人もあんな人もいた。たくさんの人の夢が理不尽に奪われた」

 ここまでで3分の2の「序」「破」で400字を費やしている。といっても、コラムの切れ味のようなものは見られず、ニュースで語られていることをずらずらと並べただけのシロモノ。

 でも、「急」の部分で読ませてくれるに違いない。

《米軍が無人機でイラン要人を殺し、イランが米軍駐留基地に報復した。戦争にならない範囲で、強い姿勢を示そうとしたのだろう。》

 まぁこれもニュースにある。あと残り130字しかない。ここで天声人語くんは、「朝日新聞の名コラムニスト」たる切れ味を見せてくれるのだね(笑)。

 笑っちゃったが、そんなことはなかった。最後の続きの部分を引く。

《176人はその巻き添えになったのか。兵器を限定的に、効率的に、計算して使う。そんなことができるという発想がそもそも間違っている。》

 おいおい、兵器は「限定的」、「効率的」、そしてきっちりと「計算」して使わずしてどう使うというのか?そういったことを常に考えていかなければいけない、それが「戦争」「戦闘」「戦略」である。お花畑の築地の机上で、空論を振り回してばかりいるんじゃないよ。

 最後の70字にも笑っちゃったというか怒っちゃったので引いておきます。

ソ連大韓航空機を、米軍がイラン機を。国際的な緊張のなか、民間機が撃墜される事件は過去にもあった。いったい何度繰り返せばいいのだろうか。》

 この文章の前段を読んできて、ここでソ連大韓航空機撃墜事件に続けて「米軍がイラン機を」と書いて、何人の読者が、このフレーズを1988年の「イラン航空655便撃墜事件」だと思うだろうか。ワシャのように陰険な人間が覚えているくらいで、大方の人は、30年以上も前の「米軍がイラン機」を撃墜した事件を思い出すだろうか。むしろ、今日の「天声人語」の流れからいって、3日前の墜落事故をイメージすると思いますよ。

 つまり何が言いたいかというと、この「天声人語」を書いた人は、もちろん朝日新聞の記者なので、しっかりとした文章力を持っていて、文章の余分や欠落に関してもしっかりと遂行できる実力を持っているはずである。にも関わらず、結びのもっとも重要なところに、説明不足の「米軍がイラン機を」という一文を入れてくる。これは、「ミスリード」を誘発するために仕掛けた「罠」である。これはかなり悪質と言っていい。