おき

 朝日新聞社会面。《広がる置き勉》
https://www.asahi.com/articles/ASL5V4D15L5VUTIL00R.html?iref=comtop_favorite_01
「置き勉」とは「置き勉強道具」の略語で《「脱ゆとり教育」によって教科書が分厚くなるなど子どもたちの通学かばんやランドセルが重くなっている。つらい実態を緩和しようと、教材を教室に一部置いて帰る「置き勉」を認める学校が徐々に増えている》のだそうな。
 へえー、今頃そんなことを言っているんだ(笑)。ワシャは何十年も前にこの「置き勉」とやらを実践していたぞい。新学期になる前には、いつもの本屋さんに全教科の教科書や副読本を注文した。それを2セットを用意し、学校のロッカーにはその一方を置いておく。だから通学は、通称「オベ〇チョバッグ」と呼ばれていたペラペラの革のバッグしか持たない。なにしろ通学は手軽だった。
 記事に拠れば、ある母親が量った息子の荷物の総重量は17.8キロだったとさ。シェルパにでもするつもりか。

「おき」つながりで……。
明治38年5月27日、福岡県沖ノ島の北の海域で日本海海戦の戦闘が始まった。
「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」
 日本連合艦隊旗艦「三笠」にZ旗が揚がった。そして驚愕の戦法を連合艦隊は実行に移す。敵前での大回転運動である。船は回転運動に入ると洋上に止まって見える。ここに砲弾を集中されれば船はもたない。しかし、急ぎ回転運動を終え、バルチック艦隊の進行方向をふさぐ形をつくれば連合艦隊戦艦群の右舷砲塔をすべてバルチック艦隊の先頭艦に集中することができる。これを連合艦隊司令の東郷平八郎は狙った。この作戦は見事に当たり日本海大海戦は日本の大勝利に終わる。
 もちろんワシャは日本人としてロシヤの大艦隊を破ったこの海戦を評価するものではあるが、しかし後年の日本海軍に歪な自信をつけてしまったということに関しては微妙な気持ちを抱いている。そして勝利の陰に日本の将兵が116人の尊い命が失われたことも忘れてはならない。

「おき」つながりでもうひとつ……。
 今朝の「天声人語」である。
 ワシャは今日という日付から「日本海海戦」を思った。「天声人語」は、「沖縄戦」を思い、首里の地下壕にこもっていた日本軍の司令部が「15キロほど撤退した日」を持ってきた。そんな記念日を見つけてきた天声人語氏の執念に驚く。でもこの記念日はなかなか知られていないのではないか。博識な天声人語氏は知っているかもしれないが、一般的な記念日ではないですよね。沖縄タイムス琉球新報ならいざ知らず、全国紙が一面コラムにもってくる記念日とは思えぬ。ワシャの持っている太平洋戦争関連本の「沖縄戦」のところを探してもその日付にはなかなか見当たらなかった。
天声人語」は「15キロ撤退した日」を強調し、そこから沖縄決戦で亡くなられた島民12万人の話に無理やりもっていく。朝日新聞らしいね(笑)。そして「組織的戦闘を続けた軍部にも、理屈はあったのだろう」と理解を示すふりをしながら、軍部の見誤った判断により「もたらされる厄災の何と大きいことか」と嘆いてみせる。15キロの撤退からここまで持っていく文章の異様な展開に、朝から大笑いするのだった。