ミズーリへの特攻

 参議院議員青山繁晴さんが、パールハーバーに記念艦として保存されている戦艦ミズーリの話をされていた。ミズーリの右舷に損傷痕が残っているそうだ。それが1945年4月11日に日本の特攻機による傷だったという。青山議員が語った話を記しておく。
 九州南部の太平洋上に展開している戦艦ミズーリを目指して一機のゼロ戦が飛んでいた。ミズーリ弾幕を掻い潜り、低空飛行で特攻を敢行したゼロ戦は、副砲塔にぶつかって、燃料に引火したが積載されている爆弾は破裂せず、まもなく沈下された。甲板上にはバラバラになったゼロ戦と搭乗員の上半身があった。特攻機の恐怖におびえていたアメリカ兵は、日本兵の遺体を悪魔の断片のように忌み嫌い、踏んだり蹴ったりの棄損をしていた。そこに艦長が現れて、「その兵士は、我々の弾幕を突き破ってここまでやってきた。英雄ではないか。彼を丁重に扱え」と命じた。米兵たちは、艦長の言葉に従い、その上半身だけの日本の兵士を弔うために、艦内にあった赤と白の布を縫い合わせて、旭日旗を作り、その旗で遺体を包んで水葬を行った。どの米兵も敬礼で見送った。その時の写真が残っている。これは感動の1枚である。旭日旗に守ってもらっていたくせに、それを蛇蝎のように嫌う民族があるかと思えば、旭日旗と命懸けで戦った敵国民が、尊崇の念を持って接してくれる。この差はいったいなんなのだろう。

 旭日旗の話はどうでもいい。その前段の話を聴いて、「あれ?どこかで聞いたことがある話だな」と思った。もちろんすぐに思い出した。百田尚樹『永遠の0』のラストシーンである。戦艦の暴風のような弾幕を突き切って、ついに宮部久蔵の乗った21型零式戦闘機は特攻に成功する。しかし、ゼロ戦の爆弾は破裂せず、宮部は戦死した。上半身だけの遺体、米艦の艦長の下す命令なども、すべて同じだった。百田さんはこのミズーリの特攻に取材し、『永遠の0』のモチーフにされたんですね。
 あの感動のクライマックスが現実だったとは……。ワシャはずっと百田さんの創作だと思っていた。ところが、現実に、鹿屋航空基地を出撃した石野節雄二等兵曹の命を懸けた最期のドラマだったのだ。

 青山議員の話をお聴きしたのが、ちょうど風呂に入る前だったので、早速、『永遠の0』のコミックの第5巻を携えて、かつ、映画『永遠の0』でラストシーンに流れたマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲をCDで流しながら、湯船に浸かって読んだ。
 風呂場で、ビー泣きでしたぞ。もちろん久しぶりに読んだコミック『永遠の0』に感動したし、その宮部久蔵が実在の人物であることに、これが泣かずにおらりょうか。

 知らないことはまだまだエベレストのようにあり、知って感動を得ることばかりである。今回の事実を教えてくれた青山議員の博識にも頭が下がるし、百田さんの深い知見にも驚くばかりである。
 青山議員の話をうかがって、パールハーバーという因縁の場所で、しかし、敵だった日本兵を称える展示をしてくれているアメリカに感謝したい。それも旭日旗を掲げての見事な展示をしてくれている。ハワイに行ったら、必ずやミズーリを訪れたい。例の某国からは展示を撤去するように圧力がかかっているようだけどね。まぁそんな愚かな国のことはどうでもいい。やはり正々堂々と正面から戦った好敵手同士は、戦いが終わればノーサイドで友人として付き合うことができるという確固たる証左であろう。
 古い例になるけれど、日露戦争で死力を尽くして戦った乃木とステッセル、東郷とロジェストウェンスキーは戦後、お互いの奮闘を讃えあった。その友情は今をもっても語り継がれている。
 けっして正々堂々と戦うことをしなかった支那軍、便衣兵、テロ、ゲリラ戦ばかりが得意の支那兵には永遠に日本兵の強さは理解できないだろうし、味方だったはずなのに、後ろから弾を撃ち続ける卑怯な朝鮮兵には日本兵の潔さなど論理の外であろう。

 風呂場でコミック版の『永遠の0』を読んでいて、泣きながら思った。「戦争はやってはいけない」と。こう思わせる『永遠の0』がサヨクの連中に言わせると、戦争賛美の小説・物語であるのだそうな。ワシャは、どちらかというと好戦的なタイプだが、そのアホが読んでも「戦争はいけない」と思うんだから、間違いなく『永遠の0』は反戦小説と断言していい。