零式艦上戦闘機

 DeAGOSTINI(ディアゴスティーニ)が「第二次世界大戦傑作機コレクション」の発売を始めた。第1回は「紫電改」である。「紫電改」は数多の戦闘機の中でも人気のある機体で、「シデンカイ」という名前も響きがいい。零戦以降の最強の戦闘機といえる。ちばてつやの『紫電改のタカ』の影響もあるだろう。第1回は半額なので、つい手が出てしまった。これで、このシリーズを買う癖をつけさせるというDeAの商売にはまっている(笑)。
 第2回が零戦だ。これはどうしようもない。小さい頃から飛行機を描くといえば、零戦だった。紫電改ではない。フォルムのシャープな零戦が描きたかった。今でも零戦だけは、指が覚えていてサラサラと描けるんですよ。
 でね、今、零戦を組み立てて「ブーンブーン」と言いながら書庫の空を飛ばせている。小学校の頃からまったく進歩していないなぁ。
 そうすると、やはり『永遠の0』が読みたくなる。今回は、コミックのほうを読んだ。やっぱり何か所かで泣いた。
 特攻で亡くなった祖父の宮部久蔵のことを調査している健太郎が、一緒に零戦に乗っていた老ヤクザを訪ねる。老ヤクザは宮部のことを「憎んでいる」と言いつつ、話を終えると健太郎にしがみつく。健太郎の容姿に、名操縦士として追いかけ、追いつけなかった宮部の幻影を見たのである。そして戦後、宮部の妻と子を窮地から救うのも、この老ヤクザである。この老ヤクザの話は何度でも泣ける。いい人間ドラマに仕上がっているんですね。
 この物語を「戦争賛美だ!」と言う人々がいる。どこをどう読んでも戦争賛美なんかしていないのだが、そう、言い張る連中は「百田尚樹だから戦争賛美だ」と言う。そうかなぁ(苦笑)。
 主人公の宮部久蔵は戦闘機に乗って戦う軍人である。しかし、戦争はやりたくないとずっと思っているし、生きて家族のもとに帰りたいと心から念じている。物語も、主人公と一部の脇役を除けば、日本帝国軍人を好意的には書いていない。
 本を読み終われば「戦争なんかしちゃいけない」と思う。映画を見終れば「平和を守るためにがんばらなければいけない」と感じる。『永遠の0』を読んで、観て、「戦争するぞー!」って考える方がおかしい。
 72分の1の零戦は書庫の空を飛んでいる。格好いいなぁ。ああ、また遊就館の本物が見たくなってしまった。