落語に能

 昨日、午前中、ドサ回り。午後から地元の図書館で落語会。義理があってドサ回りを途中で切り上げて、落語会に顔を出す。出演はこの落語会を仕切っている桂鷹治(二つ目)と雷門小助六(真打)である。
 鷹治、初めて図書館寄席に来たのは平成28年の正月だった。その時はまだ前座で、瀧川鯉昇と二人寄席だったので、その落差が大きすぎた。なんと言っても鯉昇ですからねぇ。高座に上がって座布団に坐っただけで笑いを取れる噺家である。
 本棚にある『落語ファン倶楽部』(白夜書房)の中に「落語家なんでもベスト3!」という特集があって、その中に「すご顔ベスト3」なんていう失礼な序列がされている。「このフェイスインパクト、ぜひともライブで目撃してください!」と余分なことまで書いてある。その1位が瀧川鯉昇なんですね(笑)。
 そうなんです。顔だけで爆笑を取れる師匠と2人で、前座が高座をつとめるというのはデンジャラスなのである。で、初回は惨敗って感じでしたね。2回目に来た時には、二つ目になっていたけれど、まだまだこなれていない印象だった。3回目も、頑張ってはいたけれど、まだ二つ目としての力量には手が届いていない。
 それが今回はなかなか聴きどころのあった落語二席を披露した。まずは「時そば」でご機嫌をうかがう。二席目は「平林」という珍しい噺。どちらも噺自体にもぶれがなく、噛むことも少なかった。その上でところどころにアドリブを挟んで、それが厭味ではない。かなり腕を上げたね、鷹治。
 小助六は初めてだったが、若いのに達者な噺家である。かっぽれも踊れるし、二席目には「井戸の茶碗」を持ってきた。なかなかチャレンジャーではないか。まくらもおもしろいし、声も姿もいい。林家三平よりはるかに達者だ。精進していけば頼もしい噺家になっていくだろう。
ちなみに一席目は「替り目」。酒癖の悪い亭主の話だが、そのまくらで地元の「神杉」という酒を織り込みながら、小噺をいくつか並べていく。応用力もあり、噛むこともなく、立て板に水のような語り口だった。
 平成25年に真打になったばかりだから、ようやく師匠衆のケツッペタについたばかりである。大御所の小三治、花形の志の輔喬太郎、昇太になるには、まだまだ遠い道のりだろうが張り切ってやってほしいものだ。

 もうひとつ、能の話をしておく。これは一昨日の土曜日のことなんだが、午前中は相変わらずのドサ回り。午後から新田次郎賞を受賞された作家の奥山景布子さんの講座があったのでそれを覗いてきた。講座名は「古典芸能の楽しみ方」だった。全部で3回あって、初回は「能」、第2回は「落語」、3回目は「歌舞伎」の話をしてもらえる。古典芸能好きのワシャとしてはとてもうれしい。
奥山さんが言われたおもしろいことをピックアップして残しておく。
「功成り名を遂げた者は、芸能のスポンサーたれ。政治家は古典文化を支えろ」
 奥山さん印象としては、最近、歌舞伎座で政治家を見なくなったという。以前は、森喜朗氏や小泉純一郎氏を始めとする政治家たちをよく見かけたそうだが、今はとんと見かけなくなったそうな。
 確かにワシャも歌舞伎座とかにもずいぶん顔を出したけれど、芸能人や作家はよく見るんだが、政治家を見たというのは記憶にない。御園座だって、筋書の冒頭には県知事や名古屋市長の長ったらしい挨拶はあっても、本人たちの姿を見たことはない。もちろん彼らだけではなく、愛知・岐阜・三重界隈の国会議員たちのご尊顔も拝したことはありませんぞ。まぁ今日日は、地方の首長や国会議員程度は「功成り名を遂げた者」とは思われていないから仕方がないんでしょうね。国会議員などパシリくらいにしか思っていない住民もいるからねぇ。況やそれ以下の地方議員においてをや(笑)。
 話が脱線したが、奥山さんの言いたいことは、資金力のある成功者がもっと文化に金を使えということだろう。とくに奥山さんが触れたわけではないが、そこをワシャが補足すると、800億円を投じて、テメエが月面に立つ自己満足を買うのではなく、将来に日本の伝統文化を伝承していくために、それを使ったらどないです?
 歴史の教科書に「21世紀の前半、成金が月面に立ちました」と載るよりも、「21世紀前半、窮地に陥っていた伝統文化に私財を投入して、日本の古典芸能を後世に伝えました。彼は、日本古典芸能中興の祖と呼ばれています」と書かれたほうがいいでしょ。