アホ半ケツ

 アホが半分尻を出して、おしりてんてんした上にアカンベーをしやあがった。

 

 犯罪者の希望をかなえて喜ばせる司法というものがどんなに間抜けなことだろう。裁判官、検察官、弁護士の大人たちがクソガキに完全になめられている。ここで「死刑」を求刑できない検察官も情けないし、「え~い、この背中の桜吹雪が目にへーらねえか。おめーはよ~。打ち首獄門の刑の処すんでぇ」と言えない裁判官も、永山判決に半ケツ持っていかれているのう。こんなサイテーなガキに好き勝手な発言をさせている弁護士も寂しい限りだ。最後に、法廷で万歳三唱をさせてしまった。これほど司法がなめられた事例をワシャは知らない。

 こんなのを何十年も税金で養っていくのかと思うと暗澹たる気持ちになる。そして、おそらくこいつは50代で娑婆に出てくるだろう。そうしたらまた刑務所に入るために「人を殺す」と言い切っている。本人がそう言っているのである。20数年後に仮出所してきた小島一朗が殺人事件を起こした時、誰が責任を取るのか。

 裁判官も検察官も弁護士も「悔悛するかもしれないから」と無駄な期待を寄せているが、ワシャは性格的に20歳の頃とちーとも変っておらんど。狭い牢に密閉しても悪心の腐敗は進みこそすれ、改善されることはまずない。そんなことで浄化できるなら、誰も悟りを開くのに苦心しないわさ。

夏目友人帳』には、何百年も封印されていた悪霊が何匹も登場する。その封印が何かの切っ掛けで解け、この世(娑婆)に放たれると、封じられた恨みつらみで必ずや世間に祟りを成すのである。

 小島一朗に「終身刑」が妥当であろう。しかし、日本にはそんな刑はなく、刑務所は何度でも戻りたくなるくらいに快適な施設である。世間の風に晒されることもなく、軽労働とあとは読書三昧で過ごしていく。それでいいのだろうか。

 

 もうひとつ。この事件である。

《伊藤詩織さん勝訴》

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191218-00000036-sasahi-soci

 これも滑稽な裁判である。強姦、準強姦についての刑事事件については「不起訴」となっている。検察審査会でも同様に「不起訴」である。つまり山口氏が伊藤氏を襲ったなどという話はなかった。

 そこで伊藤氏サイドは「酩酊状態の伊藤さんに合意なく行為に及んだ」として損害賠償を求める「民事訴訟」を起こした。

 強制的に襲った。強姦した。それに準ずる行為をした。ということはすべて刑事責任がない。つまり罪はないということですよね。

 そこで伊藤氏側は「酔っていたところを『いいわよ』と言われないのに、何を何して何とやらになった」ことを責めてきたわけだ。

 でもね、若いかわいい娘が中年のオッサンと2人きりで食事をして、さらに酒まで飲んで、それも大量に飲んで泥酔をしてしまった。当初は「薬を盛られた」とか言っていたようだが、そんな事実はどこにもなく、だから刑事事件では不起訴になった。

 まともな女性なら、自分の仕事を頼むにしても、世に出るための切っ掛けをもらうにしろ、そういった雰囲気にまではぜったいに持ち込まれない。相手が気に入らない風貌であるなら尚更である。女性が自分の許容量を超えて飲酒した場合、それも2人きりという場合で、女性が自分を頼っていてくれていて、さらにそれがキレーなネーチャンであった場合、何が何して何とやらになる可能性もある。

 考えてほしい。伊藤氏がなんの目的があって山口氏に接近してきたか。これは明確である。彼女はジャーナリストとしてあるいはライターとして世に出たかった。その野望を遂げるために、TBSのワシントン支局長という山口氏の肩書は格好の足掛かりになると思わない方が嘘だろう。

 かたや大手テレビ局の支局長、おねだりするのは才能がないけれど若く美しい女である。この登場人物がその舞台設定でどういったドラマを展開するか、どんな下手な脚本家でも、むしろ下手であればあるほど、このベタな筋立て(何が何して何とやら)以外にはなかろうというほど普通の成り行きだと思いますよ。

 そのあたりは、伊藤氏を支援するお仲間がサイテー最悪の雑誌と忌み嫌う月刊『Hanada』(飛鳥新社)の10月号から1月号まで4回にわたって、文藝評論家の小川榮太郎さんの寄稿した評論が秀逸だ。

 本日の朝日や中日新聞を見ると、悲劇の主人公に仕立てあがっているが、そもそもその主張自体が起訴すらできないあやふやなもので、これが通れば世の男たちは、好意を寄せた女性にいいよることすら民事上金銭を要求されることになる。

 

 伊藤詩織氏の一連の主張は、単に売名行為であるというところが見逃されている。そしてそれを利用しようとする集団の影があることを見極めておかないといけない。