《北海道表現の自由と不自由展、札幌で開催》
https://www.asahi.com/articles/ASMDP6RX7MDPIIPE015.html
おっと、こんなことをやっていたのか。チュチェ思想に染まった連中が反日プロパガンダを、公共機関で1日限りのゲリラ的テロ開催をしやあがった。
「道民有志らでつくる実行委員会」といっても必ずチュチェ思想信奉者の主導する反日グループなのである。内容を見れば明らかだ。「アイヌ民族の先住権を訴える展示」、「朝鮮女性が日本に連行されて遊郭で自殺をする一人芝居」、例の「少女売春婦像」、「東條英機を焼く映像」、「現役保守論客を焼く映像」などなど、「あいトリ」の「不自由展」同様に、芸術と呼べるようなものは何一つなく、反日活動を助長する方向性のものばかりが並べられていた。朝日新聞紙など一部のシンパのメディアには公開したが、一般人が情報を発信することは制限されている。これも、遣り口が「あいトリ」と同様で自らが表現の不自由を実践していることは棚に上げている。
ただ心ある人はどこにでもいるもので、きっちりと、そのくだらない展示内容をツイッターなどで暴露してくれる。だからワシャらもテロ的展示の本質を知ることができるのである。
前にも書いたけれど、チュチェ思想は左翼陣営の中に感染している。ここに注意をしていかないと、「文化」に名を借りた「洗脳」がまた悪化してしまう。
作家の日垣隆さんがフェイスブックで、例の伊藤詩織氏についてコメントしていた。
「ジャーナリスト自らがニュースに敢えてなる場合、戦死以外、かなり怪しい」
日垣さんは、世界じゅうの危険地帯に取材を敢行してきた。常々「自分がニュースになることだけは気をつけてきた」と言っておられたことを思い出した。
伊藤氏は、自らの閨ごとをさらけ出して「ドキュメンタリー年間最優秀賞」を受賞した。ジャーナリストになりたくて仕方がなかった女性は、ついにジャーナリストとして認められたわけだ(笑)。ただし自らのネタでね。事実は男と女の密室内でのことで、なにが真実かは2人にしかわかるまい。なんら論証のできるものはなく、女性の告白がすべてのもの、告白本が、はたしてドキュメンタリーと呼べるのかどうか。
その日垣さんの著作に『裁判官に気をつけろ!』(角川書店)という一冊がある。これは、『ブラックボックス』などと違って秀作なのだが、この中に今回の伊藤事件を予言するような記述がある。
第5章の「裁判用語としての和姦と強姦」。
《合意(承諾)に基づく性交渉は、愛の形だとされています。しかし合意に基づかない性交渉は、犯罪です。》
以下、過去の裁判事例を挙げられて、こと和姦か強姦かを判断する判決がいかにいい加減かを論証されている。
第6章の「色恋沙汰と性犯罪のあいだ」では、
《女性が告訴するほどである以上は、それだけのことがあったと推定すべきであり容疑者を逮捕・起訴してもいい、という発想があり、これなら正しいと思ってしまう人も少なくないでしょうが、しかしこの発想こそが痴漢冤罪の温床になることは、知っておいていただきたいと思います。》
と言われる。ワシャもまさにそう思う。とくに告訴した女性が「自分のことをニュースにしてでもジャーナリストになりたい」と山口氏のところに押しかけていた人物で、その支援者が傾いた方ばかりなので、さらに疑惑は広がっていくのである。