自民党の研究

 栗本慎一郎氏の著作に『自民党の研究』(光文社)というものがある。1999年の発刊だから、もう20年も前のものですね。内容はタイトルのとおり日本を牛耳る自由民主党という政党の分析。これが20年経っても錆びていないところが笑える。つまり自由民主党という政党がまったく20年間変質していない。良く言えばね。ストレートに言えば、進歩していない、進化していない、改善されていない。旧態依然とした政治団体だから、栗本氏の本が色褪せていないのである。

 ちょっと内容を拾ってみますね。

《議員であれそうでない場合であれ、党員が党員として要求されることは、まず日常の政治活動への参加である。これは自民党員でも共産党員でも変わらないが、ちがうのは、自民党員はそれ以外のことはまったく要求されないということである。》

《だから、みな汗をかく。それも、できるだけ他人に見えるところでかかねば意味がないから、それこそ、これ見よがしに努力する。》

 これ見よがしの努力とは何か?栗本氏は言う。

《なんといっても冠婚葬祭だ。まじめな自民党議員として認められるためには、ほとんどぜんぶ出席する必要がある。その場合、土日はまずぜんぶ、予定が埋まってしまうことを覚悟せねばならない。》

《各種団体とのつき合いは、各種例会および懇親会への出席と挨拶ということになる。これもまじめ(?)にやっていれば、土日のぜんぶどころか、平日の夜もぜんぶ埋まることにもなりかねない。》

 栗本氏の言う「日常の政治活動」「汗をかく」というのが、人間関係確保のために、地元と関係各所を駆けずり回ることを指している。

 地元では絶大な人気を誇るあの小泉進次郎氏ですら、時期になれば地元の盆踊りや祭を梯子する。故人ではあるがやはり人気のあった鳩山邦夫氏ですら、挨拶経費だけで1億円を超えていたというから驚きだ。

 ワシャらの地元の野党議員は、まさに自民党議員のように足まめに地元の会合やら宴席を、頼まれもしないのに走り回っている。それに比較して前自民党議員は、血統がいいこともあり、政策優先にして、要請があれば地元に顔を出すが、でなければ動かなかった。ワシャはそれでもいいと思っていたが、ところが地元の保守系の爺様方はそれを許さなかった。あからさまに「なんだあの議員、まったく挨拶に来ないじゃないか。野党の議員のほうがまともだ」と、本来守るべき保守系議員を、結果として引き摺り下ろしてしまった。

 自民党議員が、自民党お家芸である「汗をかく」をこれ見よがしにやらなかったことで、選挙区で落とされてしまった。

 これが政界に蔓延している。本来は自民党的土着選挙のやり方だったものを、最も自民党的な代議士だった小沢一郎氏が、無菌室の住人のような当時の野党議員に「どぶ板汗かき病」を罹患させ、悪弊がパンデミックしてしまった。

 今、与党にも野党にも誇り高い毅然とした議員が少ないのは、このあたりの事情による。その点で自民党参議院議員青山繁晴さんは、唯一の毅然とした国会議員と言ってもいい。まず、国民に媚を売らない。もちろん比例区なので、地域の挨拶に奔走する必要がないからね。一種、地域から超越している議員も何人か存在していた方がいいのだが、それもまたとんでもない議員を出してしまうことにもつながっているのでリスクが大きい。

 青山さんもそうだし、この本の著者の栗本氏もそうなのだが、「議員バッチを維持するために、そのためにはなんでもする」という気にはならない人材だった。そういった議員が増加してくることこそが、この国の明日に光を当てていくのではないか・・・そんなふうに思った。