本證寺

 本證寺について、この日記でも過去6回ほど話題にしている。愛知県安城市の南の田舎に野寺という集落があるのだが、その小さな集落の中心が本證寺である。古刹と言っていい。

 司馬遼太郎街道をゆく』の43巻が「濃尾参州記」である。名古屋から入って、豊田の香月院を経て岡崎に入った。ついに徳川家康についての街道をゆくことになる。三河人としては、濃尾が終わってようやく参州になるのかと期待をした。

街道をゆく』は未完で終わっている。参州を巡っている途中で、司馬さんがお亡くなりになられたからである。全43巻の最後の最後にこういった記載がある。

《二十二歳の秋から半年、一向一揆という宗教による集団暴力さわぎが家臣団の中からおこって三河一国をゆるがし、家康自身、一向一揆側の家臣から槍で追っかけまわされるという事態がおこったのである。》

 司馬さんは、家康についてかなりの分量を書き残している。『覇王の家』はずばり家康のことを書いているし、『城塞』にしても『新史太閤記』にしても家康という名脇役がいてこそ成立をしていると言える。なにしろ司馬さんの描く戦国もので、家康は当然のことながら外すわけにはいかないキャラクターなのである。

 さらに言えば、司馬さんが福田定一として小説を書き始めて、初期の初期、3作目の短編が『正法の旗をかゝげて―ものがたり・戦国三河門徒衆―』。まさに、三河一向一揆を書いた短編なのだが、残念ながらどの単行本にも全集にも収録されていない。つまり司馬教の信者であるワシャも読んだことないのである。

 ただし、『司馬遼太郎事典』(勉誠出版)には作品の梗概が載っており、それによれば、まさに本證寺を舞台にした歴史ドラマと言っていいらしい。

 司馬さん、前述の文章に続けてこう書いている。

一向宗については、あとでくわしく述べるかもしれないから、ここでは詳述しない。》

 それから、わずか60行で司馬さんの人生が終焉する。これから本證寺に足を運び、寺宝を眺めつつ、戦国の世に想いを馳せ、一向宗本證寺三河一向一揆などについて、知の巨人の話をうかがう機会は永遠に失われた。司馬さん、そこまで、岡崎まで来ているのに・・・。

 司馬ファンとしては、まことに残念である。

  

 その本證寺が戦国以来の危機に瀕している。国指定(2015310日)の史跡である本證寺境内が崩壊し始めているのである。先日、ワシャも現地を見てきたけれど、東面の石垣は孕んでおり、その影響だと思われるが、堀の塀が何箇所か亀裂が入り、一か所は大きく口を開けていた。家康の攻撃にも耐えた城郭伽藍が、令和の御世に、文化財に興味を示さぬ輩のために落城寸前となる。武力で落ちずに無関心が家康の野望を結実させるか。