昨日、読書会。課題図書は、大久保秀夫『みんなを幸せにする資本主義』(東洋経済新報社)だった。先月の課題図書の『孫正義300年王国への野望』(日本経済新聞出版社)から派生した一冊である。
現状の市場原理主義的資本主義、金融資本主義、欧米型資本主義、そして支那中国の国家資本主義から脱却して、「公益資本主義」に移行していこうという話である。これは日本発信の資本主義であり、トヨタ自動車の豊田章男社長も賛同を示している。
簡単にこの「公益資本主義」を説明しておくと、ステークホルダーを株主だけに限定をするのではなく、社員、顧客、地域にも平等に扱い利益配分をしていく資本主義のことを言う。
まぁ面倒くさいことはすっ飛ばして、要するに日本型の「和を以て尊しとなす護送船団方式で、無理な成長を目指さず、安いというだけで仕入れ先を変えず、人員を整理せず、新しさを求めるのではなく良い方法を模索し、顧客満足をつねに念頭に置いた経営が主流となる社会形態」を目指すというもので、日本の伝統・文化・風土・歴史を愛するワシャは当然のことながら首肯するのであった。
読書会の雑談の中で、メンバーから興味深い話が出た。
「トリエンナーレで問題になっている慰安婦像と称するものは、あれは交通事故でなくなった女の子の像なんですよ」
ということで、文春オンラインの記事を教えてくれた。
https://www.excite.co.jp/news/article/Bunshun_13242/?p=6
そして2017年10月号の「WiLL」に《「慰安婦像」のモデルは米軍犠牲者の少女だった》と題した論文が載っていることも分かった。
もちろんワシャの書棚には創刊号から全巻の「WiLL」が揃っているので、すぐに出してきて読みましたぞ。ううむ、2年前に読んでいるはずなのだが、覚えていなかった。なぁんだ、そもそも「慰安婦像」でも「平和の像」でもなかったんだ。米軍装甲車の交通事故の犠牲者となった中学一年生の女の子を追悼するために制作された像であった。中学一年生の女の子、と聞けば、座っている椅子が学校の木製の椅子であることも納得できる。
トリエンナーレの会場に展示されたものは、「交通事故犠牲者少女像」という明らかな典拠を持つ像を転用したもので、そんなものが「芸術」であろうはずがないわさ。
読書会後、駅前の居酒屋で反省会。まぁこれが主たる目的のようなものですけどね。ここで食べたしらすポン酢が美味くて、お代わりをしてしまいましたぞ。