昨日(1月24日)の朝日新聞に《ヘイト・差別 放置できない》と題した記事が載っている。そこに「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」のことに触れていた。
それと示し合わせたように(示し合わせていないけど)、同日の中日新聞に「本音の芸術論 あいちトリエンナーレ回想」というコーナーで「表現の不自由展・その後」の出展者が取り上げられていた。
その中日新聞には月刊『Hanada』(飛鳥新社)3月号の広告がデ~ンと載っていたので、仕事帰りに早速買ってきたら、加地伸行先生の巻頭言が「ヘイトスピーチ」がテーマだった。
さらに、一緒に買ってきた月刊『WiLL』(ワック出版局)に「韓国の反日こそヘイトじゃないの?」と題されたケント・ギルバート氏と桜井誠氏の対談があった。
これだけつながるとおもしろい。活字を追う楽しさここに極まれり!
まず、朝日新聞から料理しようか。
名古屋市内のライブハウスで「特定民族への差別をあおるヘイトスピーチ」について考えるトークイベントがあったんだとさ。約30人の参加があったと朝日新聞が書いているから、30人を下回っていたということだろうね。
イベント主催者は、「ヘイトスピーチなどの差別を放置したまま演奏に浸ることはできない」として、東海地方でも繰り返される「在特会」の抗議を取り上げ、《県施設「ウィルあいち」で、「犯罪はいつも朝鮮人」と書かれたカルタなど差別的「作品」を展示。》と、ある意味で敵対勢力の「表現の自由」を攻撃しながら、その舌の根も乾かぬうちに、こう言っている。
《あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」が、慰安婦を象徴する少女像などの展示に対する電話攻撃でいったん中止に追い込まれた事例を紹介。「嫌韓や歴史修正主義を放置した結果、展示を見られなくなる不利益が、あらゆる人に及んだ。社会の全員が差別問題の当事者だ」と話した。》
この発言は矛盾にあふれている。「嫌韓や歴史修正主義を放置した」というが「反日」は放置していいのか?そして「歴史を捏造修正」しているのは韓国である。この2点ですでにこの「反ヘイト」の集会は破綻している。だから20人ほどの支援者しか集まってこないんだけどね。
そして中日新聞である。現代美術家を称する男が登場する。記事はこう書く。《現代において、個々のアーティストは公益のために創作するわけではない。》当たり前だ。これを受けて男が「生きものと同じで、社会も多様性がなければ変化に適応できない」と言う。
多様性はあったほうがいい。しかし、アートでもないもの、ゴミを集めてきてアートと称しているようなものが多様性であるわけがなかろう。ゴミはゴミだ。もちろんゴミにある種の美を感じることも自由だが、そんなものに公金を入れられるか!
男は、続けて言う。「結果的に公益につながっているのでしょう」。結果もクソもなく、「あいトリ」の「不自由展・その後」は公益につながっていない。
中日新聞も男も、どうしても河村名古屋市長の言っていることを「検閲」と決めつけたがっている。しかしだ。公益にかなう展示だと申請した内容に嘘があったのである。ある意味で公共事業詐欺と言ってもいい内容を、公がチェックをするのは当たり前だし、全国の自治体が出している補助金だって、申請内容に嘘や捏造があれば、たちまち「不交付」となる。
嘘で補助金を獲得して政治的プロパガンダを実行することは「表現」とは呼ばず、政治的プロパガンダ、それも日本を貶めるヘイトになぜ公金を支出しなければならないのか?「在特会」でも自費でやっているぞ。
この記事の最後に、記者が現代美術家を称する男の意見に疑問を投げかけている。中日新聞の理性のようなものが見えた。
《〈血税を使うということは、金は出すけど口も出すということ。公金を使わなければ文化庁も納税者も口出ししない〉。本社の読者センターには、そんな声が寄せられた。行政には住民のコンセンサス(合意)が不可欠。いち納税者として口を出す権利があるというのは、説得力を感じるご意見だ。》
ううむ、加地伸行先生の巻頭言まで話が進められなかった。続きは明日にでも。