奇怪な厄介な不愉快な展示会はどこまでゆくのかいな

 今朝の朝日新聞「オピニオン」欄。テーマは《リコールと民主主義》で、論者は横浜市でIRがらみで林文子市長のリコール運動を実行した広越由美子氏と成蹊大学教授の武田真一郎氏である。紙面をご覧いただければと思うが、両側に論者の写真が大きくあって、その間に小さく「大村知事」、「署名活動の様子」、「リコール反対の横断幕」、「署名簿」がカットインされている。

 朝日新聞のことだから、また大村知事擁護の展開になるのかと思いきや、両氏は、大きな自治体になるとリコール運動自体がハードルの高いものになることを主張していた。広越氏は横浜での体験から、武田氏は行政法の立場から注文をつける。

《『市政で納得のいかないことがあれば、選挙以外にも、民主主義の制度がある』ことを知ったのは大きいと思います。他人任せではなく、人々が自ら意識をもって動かないことには、政治は動きません。》

 とは、広越氏の意見で、それは至極もっともなことであろう。ただし、この日記でも以前に書いたけれど、評論家の呉智英さんの言う「衆愚政治」に陥ってはいけないと思う。その点は要注意ですな。

 武田氏はまず問題の起こりをこう言っている。

「愛知の問題は一昨年、あいちトリエンナーレ昭和天皇を扱う作品の展示をめぐり、賛否がわきおこったのが発端」

問題の発生を「慰安婦像」ではなく「昭和天皇を扱う展示」にあるとしたところは評価できる。この点は、昨日の日記で取り上げた本の執筆者とは一線を画し、きちんと事象が見えている。吉野川可動堰建設などの成功事例を示し、それでもリコールは困難な道であることを説く。そしてこう結論づける。

《間接民主制としての選挙には欠陥があります。第一に、選挙で争点とならなかった問題について、有権者は次の選挙まで民意を反映できません。第二に、選挙で選ばれた代表が『当選すれば何をしてもいい』とばかりに民意を反映しない政策を行いかねません。リコールや表決などの直接民主制は、これらの欠陥を補うためにある。》

 まさに言われるとおりなのだが、やはり直接民主制というものは、どうしてもその時々の空気に流されがちになる。結局、空疎なワンフレーズに大衆が踊らされることになるだろう。

 ただ、大村知事へのリコールについてこう言っている。

《リコールは、公職に就く者が不適格か無能といった声が上がったとき行うべきものです。しかし愛知のケースは、大村知事の適性や能力の問題ではありません。その意味で、本来のリコールの趣旨からずれていました。》

 ずれてませんけど。そういう問題でリコールをされたものと愛知県民は思ってますけど。

 ついでに、今日発売の『文藝春秋』で大村知事が吠えている。題して《私は河村たかし市長の嘘を許さない》とは(笑)。

 それにしても、名古屋市長選が始まっているこの時期に、こういったモノを出してくるとは、もう仁義なき闘いだのう。全体にわたって河村市長への誹謗中傷なのだが、中でも《「少女像」炎上で大村追放を画策》という章があるのだが、それってまったくあさっての方向だよね。その章で「慰安婦」「平和の少女像」などが問題であるような書き方をしているが、そこは違いますよね。武田教授のように「昭和天皇を扱う作品」が問題だったと正確な事実を出しましょうよ。さらに「特攻隊を貶める作品」があって、「慰安婦像」などの問題などその次の次でんがな。

 まだ「文藝春秋」を買ってきたばかりで、熟読をしていないけれど、なんだか上から目線の楽しそうな文章ですな。

 ちょいと読み込んで分析をばしてみましょうかい(笑)。次回以降にね。