北の国に行っていて、朝日新聞は読んでいたんだけど、さすがに北海道に中日新聞はなかった。だから帰ってきて、今週の中日新聞をまとめて読んでいる。あららら、こっちでは面白いことが起きていたんですね。

 10月31日の朝刊1面。

《素材に慰安婦像展示不可》という見出し。もちろん「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」のあおりを受けた格好だ。また、全共闘世代のサヨクの芸術家と称する輩が、別に取り上げる必要もないのにことさら「慰安婦像」の映像を用いて作品を制作し、政策をしたんだとさ。面倒くさい輩が多いのう。

 当然のことながら、常識を持っている伊勢市はその展示会を中止した。警察権を持つ知事とは違って、基礎自治体の力は弱い。鈴木健一市長の言うとおり。

「市民の生命と財産、運営の安全性を第一優先に考えて判断した」

 それでいいのだ。

 

 一枚めくったら、「あいトリ」本体の話がまだ報じられている。

補助金中止は脅迫の肯定》

 読んでみれば、あの「ゆとり教育」の推進者だった寺脇研氏が、「あいトリ」の国の予算の不交付について異議を申し立てている。

 これが「あいトリ」の本質と言っていい。寺脇研氏ですぞ。ワシャは「ゆとり教育」に対して批判的な立ち位置を取っている。「子供時代にはある一定の枠を嵌めたほうがいい」という白洲正子さんの意見に同調するものであり、ある意味で子供たちのタガを外してしまったことによる弊害は恐ろしいばかりである。「ゆとり教育」がどういった方向性に流れるのか、国家にどういう影響をもたらすのか、全体を俯瞰できなかった寺脇氏の責任は重い。なにしろ「ゆとり教育」を推奨していたのが、あの「日教組」だからお里が知れよう。

 その寺脇氏が、反対の論陣を張るということは、とても解りやすい図式で、やはり国の補助金中止の措置はおおむね正しかったということに他ならない。

 

 それでも中日新聞は畳み掛ける。社会面では《「題材は表現の不自由」作家手直しも伊勢市拒否》と題して、作者にインタビューした記事が掲載されている。まぁいろいろと作者が言い張っているが、要は「慰安婦像の写真を貼っただけだ。何が文句がある」ということである。

 解かっていないんだな~。

 そもそも「いわゆる慰安婦」に火を点けたのは、朝日新聞である。そしてそれに乗っかって韓国という政治的後進国(蔑視して言っているわけではないですよ。現実に、退任した大統領たちがどういった運命を辿っているか、確認してみてください。そんな国が政治的先進国であるわけがないでしょ)が、日本国に対していろいろな嫌がらせをしてきた。でも、それは間違いだった。火を点けた朝日新聞自身が、紙面で間違いを認めて謝罪している。それで終わった話なのである。

 ところが、いったん日本に効果を示したインネンのツールを、それが嘘であることが判明した後も、韓国は手放さなかった。そして未だに手を替え品を替え、日本国民・日本国民の祖霊の尊厳を毀損しようとたくらんでいる。

 そういったツールなんですよ、「慰安婦」というファンタジーは。このことについては、日本人であるなら、この国に依って生きる国民なら、それをしっかりと忌避をしていくというのが、愛国の心ではないでしょうか。それも伊勢神宮のまさに足元の伊勢市民ではないですか。そんなまがい物には端から手を出さない。そんなものを手を染めなくとも「芸術」は生み出せるくらいの気概が欲しいですわな(笑)。

 作家は「市側はクリエーターの表現の自由を何と考えているのか。訴訟への準備をしていきたい」と憤っているが、小さな「慰安婦」写真にこだわらず、そんなものを使わないで、それ以上の芸術を産み出してくださいな、クリエーターなんだから。

 このところ「表現の不自由」を喚く芸術家が多いけれど、本当の芸術家はどれほどの枠を嵌められようと、表現をし続けるのではないか。

「そうかこれがダメなら、別の手を使って当局の鼻をあかしてやれ」

 それが本物のサヨク芸術家であり、そういう人ならワシャは尊敬する。

 

 あ~久しぶりに読んだ中日新聞は面白かった。