おもしろいことを言っている。
《少女像の韓国人作者が反論「日本の報道では正しい意図が伝わらない」 表現の不自由展で物議、街の声は?》
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190812-00010006-abema-soci
量産品の「従軍売春婦像」の製造責任者がこんなことを喚き出した。
「日本の報道では私たちの正しい意図が伝わっていない。少女像は反日の象徴ではなく、平和の象徴であることを知らせるために展示会への参加を決意した。しかし、日本の報道では(少女像は)反日の象徴として映っていた。不快に思うという人がいるのも事実。しかしその不快さは、河村市長の言う“国民全体の総意”なのかは疑問です」
おいおい、「反日の象徴ではなく」って言ったってさ、その売春婦像の前で、安倍首相の顔写真を破いたり、日本国旗を踏んづけたり、旭日旗を燃やしたりしてたじゃん。それが平和を祈る姿なのか?それに「平和の象徴」と言い張るなら、なんで日本総領事館の前にわざわざ立てなければならないんだ?そんなもの板門店に立てておけ。
「“国民全体の総意”なのかは疑問です」
心ある日本人は、韓国が全世界に反日プロパガンダ用にばらまいている「従軍売春婦像」に嫌悪している。韓国のこれまでやってきた侮日行為に対して怒り心頭だ。ただ、大方の日本人は謙虚で慎ましい。だから声高には言わないけれど、いろいろな世論調査を見てみれば一目瞭然である。
映画監督と称するボケが発言をしている。
「(自身が携わる)映画というのは表現の自由の最たるもの。憲法には公共の福祉というよくわからない文言がある。でも、憲法21条にある表現の自由というのは、絶対の自由。人が見て、目の前に晒されて、気持ちが悪い、不快に思うということも認めましょう。作ったものに尊厳を持たせましょうということだ」
これだからこの人はまともな映画が残せなかった。確かに映画というものは「表現の自由」があってこそのものだと思っている。しかし名映画監督たちは、その表現を極めて抑制的に使いながら名作を産んできた。言ってしまえば、監督某の言う「絶対の自由。人が見て、目の前に晒されて、気持ちが悪い、不快に思うということも認めましょう」などと言い訳をしながら自由に撮った作品にまともなものはない。それこそ速攻でお蔵入りだ。
例えば、戦場写真である。空爆の跡の死体の散乱する現場を撮った写真を、撮影者は「芸術だ」と主張するかもしれない。観る方は、累々たる死体を目の前に晒されて、気持ちが悪くなることも、不快に思うことも肯定しなければならないと監督某は言っている。
そんなことは自分たちの仲間の中だけでやってくれ。公費を投じて、公共施設で、誰もが目にする空間に展示するのは止めてくれ、というだけのこと。
それでは、これではいかがでしょう。ついに共産党と社民党が「大村知事支援」を表明してデモをしましたぞ。
https://anonymous-post.mobi/archives/12566
こんな抗議文も出している。
《社会民主党愛知県連合
河村たかし名古屋市長による「平和の少女像」の撤去要請ならびに企画展示関係者に対する謝罪要求に強く抗議致します。
社会民主党(社民党)愛知県連合は、加害の歴史に対する真摯な反省の上にアジアの友好関係の発展、平和の繁栄を誓った「村山談話」(1995年8月15日)を堅持するとともに、権利としての「表現の自由」の内実を豊かにしていくために取り組みを進める立場から、河村たかし名古屋市長の一連の行動に対し、満漢の怒りを込めて抗議の意を表明いたします。》
ほらほら~(笑)、こうなってくると一気に事件が解りやすくなってくる。おそらく多くの国民が気づいているが、社民党の「みずほたん」あたりが意見表明をしたということは、そういうことだったんですね(笑)。やっぱり「そっち系」の人が開催したくて仕方がない展示だったわけである。共産党、社民党が推している展示会、中止してよかったでしょ。
河村名古屋市長は正しいことを言った。
いつの間にか、ちゃっかりとトリエンナーレに関するツイートを削除してしまった大村知事(笑)も、早々にくだらない展示を止めたことに関してはよくがんばった。あとは、あんまり共産党、社民党に引っ張られないようにしようね。