打ち合わせ1、暑気払い1

 一昨日、名古屋で楽しい打ち合わせと、おもしろい哲学の会があった。どちらも十数年前の東京のセミナーでつくったネットワーク。知的レベルが高い人たちなので、アホなワルシャワとしてはとても勉強になる。2つが別の日なら、どちらもしっかりと堪能できたのだが、こういうのに限って重なってしまうんですね(泣)。

 だから午後2時から名駅のキッテ地下の居酒屋で2時間の打ち合わせをして、それからJR、地下鉄、徒歩で移動して哲学の会に顔を出した。でもね、哲学の会のほうは終わっていて、二次会の暑気払い会に突入していたのじゃ。それはそれでいい。

 哲学の会では、ワシャが遅れてきたので、もっぱらワシャの話に終始した。この4月以降に、劇的な人生の転機を迎えているので、そのあたりを根掘り葉掘り聞かれた。それはいっこうに構わないのだけれど、メンバーは哲学者、ライター、司書、考現学者など多岐にわたっていて、ワシャの話を凌駕するネタをお持ちの方ばかりなのだ。だから「こんな話でいいですか?」と時おり確認することで、控え目さを醸し出しながら、それでも4カ月余り溜まっていたものを出すことができた。少しラクになった。

 そんな中で話題になったのが、例のトリエンナーレの話である。「河村派」か「大村派」かということで議論が白熱した。それは暑気払い会が終わった後でも、地下鉄のホームで再燃し、「ワルシャワさんの主張する『ご真影を焼却する』ということだけでは『表現の不自由展』を中止させる論拠としては弱い」と攻撃してくる人がいた。

「ではあの燃やされて土足で踏まれた写真があなたのお父さんだったらどうですか?あなたのお爺さんだったら展示してもいいですか?」

 と反論をすると、「それは中止するには些末な問題ですよね」とくる。

 彼我ともに酒が入っていることと、電車が入ってきたので、さすがに車内での激論はできないので、それきりになったが、ここでもう少し説明をしておくと、

「反問権のない皇族に対してそういったことを仕掛けるのは卑怯であり、日本人の文化に天皇のご真影を焼くというものはなく、明らかに大陸系の文化の毒された人間がやっているものであろう。少なくとも歴史、文化として日本人は皇室を敬してきた。それを大陸の反日文化に乗っかって今上天皇の祖父、それも30年前まで日本国の安寧を祈っておられた方の写真をバーナーで焼くというのが『表現の自由』という一言で片付けられてたまるか。これは些末な問題ではなく日本人がバカにされていると言っていい。しかし表現するなとは言わない。いくらでも反日組織の施設があるじゃないか。そこで、国、県、基礎自治体の補助など一切受けずに、堂々と発表すればいい。少なくとも愛知県に納税しているワシャの金はびた一文使うことは罷りならねえ」

 ということですな。

 それらも全部ひっくるめて、楽しい終末であった。