怒りの長文(反日ヘイト展について)

 大村愛知県知事のツイッターに各方面からの反応が出ている。

 まずは大村知事のコメントを。

《河村さんの今日の行動は、右翼団体と称する方々と共同で、事実と異なるプラカードを並べて、ヘイトまがいのスピーチをしたものです。それも、県立美術館の敷地を占拠して。とても、公職者の方がやられることとは思えません。極めて危険な行為です。厳重に抗議します。》

 今日というのは10月8日のこと。このツイートに対して松井大阪市長が、こう反応した。

《大村さん、河村市長は実行委員会副委員長なんだから抗議の前に、報告連絡相談すべきでしょ!そんな大村知事に河村市長は抗議しているのですよー。》

 ちょっと言葉が足りないので、少し補足します。

「大村さん、河村市長は実行委員会副委員長なんだから、ツイートで抗議する前に、報告連絡相談すべきでしょ!名古屋市をまったく無視してことを進めている大村知事に河村市長は抗議しているのですよ」

 

 ジャーナリストの有本香さんも大村知事にこう指摘する。

《貴殿より政治歴の長い河村市長があの行動にでざるを得なかった理由はお分かりでしょうに。プラカードの文言は事実と異なっていないし、抗議する県民国民に右翼云々とラベルを貼るのも良くない。いいかげん市長の質問状に回答してはどうですか。この異常事態でもまだ実行委を開かないのは何故です?》

そうか、大村知事は、河村市長の質問状に答えていないのか。それで、上記の物言いはかなり行ってしまった観が強い。どこへ行ったかって?そりゃ左の世界に行ってしまったんですな。

 元々保守には見えなかったし、日本の歴史、文化が好きなようにも見えなかったからね。

 

 河村市長は名古屋弁丸出しで、その上に言葉もたどたどしい。かたや大村知事は元官僚だけのことはあって、言葉を巧みに組み立てて、内容のない言説を羅列する。

 でもね、たどたどしくても河村市長のほうに正論はある。

「私は、悪いけど作家の人やら不自由展の実行委の人に、こういう表現をするなと言ったことはいっぺんもないですよ。公共事業ではやめてくれ(と言ってるんです)、これ。名古屋市と愛知県の、まあ国の金も入ってますけどね。公共事業なわけです。東京オリンピックと同じですよ。東京オリンピックの会場に行ったら、慰安婦の像と天皇陛下の像を燃やして足で踏んづけるやつと、兵士が間抜けだいうのが飾ってあったらどうします?そこをちゃんとやらないと、マスコミも。公共事業だと(伝えないと)」

 

ジャーナリストの西村幸祐さんが言う。

《表現の不自由が、「鑑賞の不自由展」になった理由。こんな有様だから「鑑賞の不自由展」にするしかない。それを大村秀章愛知県知事は知っている。実行委員長の元NHKの永田浩三は、昭和天皇に死刑を宣告した19年前の女性国際戦犯法廷という反日イベントのドキュメンタリー番組のプロデューサーだった。そこにネット活動家の津田大介がつるんだ半島産の日本憎悪イベントだ。》

 そして、やはり西村さんのツイッターで教えてもらったが、「天皇陛下の映像」や「阿呆な特攻隊員」よりもさらにひどいものが、「従軍慰安婦像」の背後に隠された「映像百連発」というものらしい。それについては、全く報道されていないのだが、どうやら英語で語られ、ハングル語の字幕がついているようだから、半島発のものと東日本大震災で被災した方々をからかう内容だったそうだ。これを見た方が怒ってこう発言している。

 

「東海発信の第二のセシウム米事件だ」

 要するに、3.11で大きな被害を受けた東北地方を揶揄する内容で、この映像を作ったのは、広島市の上空で「ピカ」という字を描いた朝鮮人グループで、その他にも日本人を、それも苦痛に沈んだ被害者をさらにからかうという悪質なことをする連中である。

 これらの作品が、「売春婦像」の背後の部屋に隠れいている。再開するんならそこまできっちりと説明してからにしろ。少なくとも委員長代行の河村市長には丁寧にレクチャーして納得してもらう必要があるんじゃないのか。

 そんなところに知事と市長の確執だの、好悪だのを持ち出している場合か!

事程左様に「あいちトリエンナーレ」の闇は深い。見ていないので全容は解らないが、漏れ伝わってくるところから推測して書いている。ネット活動家の津田大介が「展示を見ずして文句を言うな」と偉そうなことを吐いているが、じゃあさ、「映像百連発」をユーチューブでもいいから流してみろよ。おまえネットに詳しいんじゃないの?いつもユーチューブなんか使いこなしているんじゃないのか。

 いかん、おまえ呼ばわりをしてしまった。ついつい下品に触れると下品になっていけない。冷静にならないとね。

 

上念司さんが「虎ノ門ニュース」で言っていた。

補助金はただの手続きなので、書類に嘘を書いていたらもらえないということだけ。実際に隠していたことがあった。それを記載していなければそれで終わり」

表現の自由は大切だから、どんどんやってもらえばいい。ただし、税金からの補助はなしで、私的に大いにやってくれ」

反日的な日本人を愚弄するような内容を表現の自由だと言っている。片方で『不自由展』を絶賛している人たちは、韓国政府を批判すると『ヘイトだ!』と大騒ぎする。反対の側から出てくる『日本死ね』は『表現の自由』と称賛する。完全な二重基準である」

「チンポム」

 これが前述した広島上空の「ピカ」描き集団で、今回の東北被災者貶め映像を作った連中ですわ。

「チンポム、活動家集団。東日本の被災者や、原爆の被害を受けた人の心にトラウマを持つ人、傷を持つ人をいじってそれが芸術か?ただの弱い者いじめである。安全な場所の日本で、権力に楯突いていますというポーズだけの集団。絶対反撃できない人をタコ殴りする卑怯者」

 

表現の自由」は守られるべきである。ワシャもそう思っている。ただし、それは表現を発信する自由も、表現を受信する自由をも含む。自己における自由もしかり、他者の自由についても同様である。

 つまり、天皇陛下御真影を焼く映像を作りたければ、それは日本では自由にできるということ。だが受信する側にも、それを嫌悪する自由もあるということである。だから「不自由展」の作家たちが、「表現させろ!」と騒ぐ自由が認められる反面、「公共の場で不特定多数に見せるな」と常識人が主張する自由も認められる。

 彼我ともに、この「自由」を濫用してはいけないことは言うまでもない。そして濫用をセーブするのは、「伝統的基準」である。これは先年、予告通り自栽をして亡くなられた西部邁さんの受け売りですけど。

 少なくとも、自由を叫ぶ「表現を発信する者」たちが、自由を主張する場合には、やはり「伝統的基準」に照らし合わせて、その許容範囲で主張するべきであろう。

 残念ながら今回の「表現を発信する者」は、その範囲を逸脱して自由を求めている。それも日本だからやっていることであり、他の国では絶対にそんな危険を冒さない。「表現を受信する者」たちは、ネット上の調査で95%が受信したくない自由を主張している。しかし、大村知事を筆頭に「表現を発信する者」たちは、「和を以て貴しとなす」という伝統を基準としていない。

なにが大切か。繰り返すが「表現の自由」は守られるべきである。しかし、自由か、不自由か、その価値判断は極めて曖昧なのだ。そもそも作品それぞれの「是非」は具体性に欠け、立場や意見の差はなかなか埋まらない。だから「伝統的基準」で考えようということである。西部さんは、その点で「伝統的基準」は的確だと言われる。西部老師の言で締めたい。

《伝統とは議論をつうじて発見されるべき歴史の英知のことである。その種の議論・発見が全員一致のかたちで行われるとはとても考えられない。しかし、私的欲望や個別集団の利害についての判断が拡散するのとくらべれば、伝統的基準についての判断は収斂しがちだといってよいだろう。》