ううむ、このところ生臭い政治家の話が続いたので、涼やかにアートの話にしよう。
一昨日、生臭い話を聴きにある街に行ったのだが、開場まで時間があり、駅前に古本屋があったので立ち寄った。そこで何冊か作品集を求めた。これね。
『京都の工芸』(京都国立近代美術館)
『道家珍彦画集』(時の美術社)
の、3冊で3.2キロある。重い。でも買ってしまうんですね(笑)。
まず、池田満寿夫さんの『般若心経』である。ここには「心経陶片」「心経碗」「心経碑」と題された、陶片に般若心経を刻んだものや、池田さん独得の造形の「地蔵」などの作品群125点が掲載されている。
ワシャは、この作品群を以前にパラミタミュージアムで観ている。
http://www.paramitamuseum.com/collect/ikeda/ikeda.html
この存在感、宗教観に圧倒されてしまったのだ。だからこの本が欲しくなってしまった。
『京都の工芸』はパラパラと繰っていたら、「ザムザ氏の散歩」が出てきてしまった。2001年に京都国立近代美術館で行われた展示会の図録である。厚さが2.5センチもある大部で、八木一夫ばかりではなく、いろいろな京都の工芸作家の作品が載っている。でも、八木さんの作品が8点ついていたから買いだ。なにせ、司馬遼太郎さんが絶賛した作家であって、それだけでワシャの中では金字塔の工芸作家ということになるんですね(アホ)。
3年くらい前だったかなぁ。愛知県田原市博物館で、「田原の美術 道家珍彦展 シルクロードと渥美」という展示会があった。そこで「廃都の月」という作品を観たのだが、これがよかった。
手前に廃都の苔色の石柱が墓石のように並び、その向こうには朽葉色の巨大な山がそびえている。その山の右肩には昇ったばかりの満月が煌々とある。土漠は生命を拒絶する死の世界だ。そこにかつて人が町を造ったものの、時を経てゴーストタウンと成り果てた。命の痕跡のない大地を、天空の満月が照らし出している。道家さんの作品にはどこか「死」の匂いが漂う。
ちょうど同年代のシルクロードを書いた画家に平山郁夫がいる。道家珍彦とは違って、文化勲章を受け、東京芸術大学学長まで登り詰めた大画伯であろう。
でもね、平山さんの作品を観ても、あまり心に響くものがない。お上手なんだけどね。これは作家の日垣隆さんが言われていて、ワシャも「そのとおり!」と膝を打った平山評。《お描きになるものが、無学な私には銀行カレンダーのようにしか見えない、としても。》
一連の平山シルクロードの作品は、道家シルクロードによく似ている。山の描き方などほぼ同じと言っていい。でもね、道家作品には心に迫ってくる何ものかが潜んでいる。どう切り取っても道家作品は銀行のカレンダーにはならない。
そういうことで、たまたま『道家珍彦画集』があったので購入した次第でございます。