今、話題の小泉進次郎衆議院議員が作家の塩野七生さんと対談をしているのを思い出した。「文藝春秋」の2018年2月号である。テーマは「進次郎は総理になれるか」。
塩野さんは女性版司馬遼太郎と言われるほどの人物なので、この対談で塩野さんが小泉議員に話しかけたことはほぼ塩野さんの本音であろう。人間通という意味でも司馬さんに匹敵する方で、人物鑑定眼も鋭いものを持っている。ただし、司馬さんもそうだったが、人たらしの面があり、対面する人、交流のある人のことはどんな場合でも貶さない。そのあたりは割り引いてみてみよう。
塩野さんは言う。
《小泉進次郎という人について、三つのことが分かったのです。第一は、話す時に相手の目をきちんと見て話す人。第二に、きちんとした日本語を話せる人。最後は、明快で簡潔に話せる人。いずれも政治家にとっては基本条件です。》
これなんかは冒頭の社交辞令に近い。のっけはまだ子供扱いにしている観が否めない。とはいえそのとおりで、小泉議員が人と話すとき、人前で話す時の用意は周到だ。街頭演説でも必ずその土地の言葉を使ったり小ネタを挟んだりする。あざといと言えばあざといのだが、それが他の議員にはできない。よく陣笠議員や地方議員にいるでしょ。いつ聞いても、同じ内容、同じトーン、要点が絞り切れず、牛の小便のようにダラダラと長話になる。そういった凡庸な議員と比べれば、その点は評価をすべきだろう。
この対談時も、4年半前の初対面の折の話が出ることを予想して、ネタを仕込んでいる。塩野さんの得意分野である「マキャベリ」の言を持ってきて話を接いでいる。上手い!
さらに塩野さんの著作『ギリシア人の物語』(新潮社)を褒めちぎり、《主人公であるアレクサンドロスの「生涯の書」はホメロスの叙事詩『イリアス』だったと書かれていますが、僕にとっては、この本が「生涯の書」の一冊になりそうです。》と言って憚らない。このあたりの暑苦しさに塩野さんも辟易としたに違いないが、それでも若くハンサムなサラブレット政治家に、こう言われて悪い気はしないだろう。
序盤、さすがの人間通の塩野さんも、新種のような政治家を前に苦戦をしておられる。完全に小泉ペースで進んで行くのであった(笑)。
中盤も若き政治家の勢いは止まらない。小泉議員、かなり塩野作品を読み込んできたようだ。アレクサンドロスと坂本龍馬を比肩させてみたりしながら、自分がインタビュアーになって塩野さんに語らせている。
塩野さんが小泉総理と食事をした時のことを披露している。
《「僕は総理になった。総理はどう振舞えばよいと思うか」と尋ねられたのですが、私の答えは「三笠の艦上での東郷をなさればよろしいのです」だけでした。》
このエピソードに小泉議員は「敵弾が降ってこようがブレるな、堂々と立っていろ、ということですね」と応じている。若者、ちゃんと歴史を知っている。
ここから塩野さんの逆襲(笑)が始まる。「小泉総理は完成していたからその答えだけで十分だが、あなたはまだ未完成である」と指摘し、「どうやったらあなたが自民党やマスコミに潰されずに済むか話したい」と、若き政治家への説諭が始まった。
終盤にむけて、塩野さんはお説教をしながらも、徐々に小泉議員贔屓になっていくのがよく見えてくる。そして小泉議員に「脱皮」を勧める。「フレッシュでかっこいい進次郎」から「凄みがあってかっこいい進次郎」へと進化しろと言う。
《そうやって脱皮をした後ならば、自民党内の中高年層も、マスコミも、「惜しいね、つぶすのは」と思うようになる。そう思わせたら、あなたの勝ちです。あなたがこの種のリスペクトを受けるようになったら、怖いものはなくなる。やってごらんあそばせ。》
対談の後に「対談を終えて」という一文を塩野さんが寄せている。ここで塩野さんは、小泉進次郎を「自民党の次のエースになれる」と断言する。そしてこう続ける。
《しかし、進次郎という大器が未完で終わってしまうか、それとも真の大器になれるかは、われわれにもかかっているのである。選挙区にしばしば帰ってなにをしているのかを聴いているうちに、気の毒になってそれ以上は問う気持ちを失った。》
要するに、選挙民サービスを強いられているのである。この時期なら夏祭り、盆踊り、地元の会合、宴席などに顔を出して挨拶をさせられるのだ。ワシャらの地元でも、金曜日になると永田町から国会議員が戻ってきて、それこそ分刻みで選挙区を回っているのである。そして顔を出さなければ「偉くなったもんだな」とか「頭が高い」と評されてしまう。だから御用聞きのように、それこそマメな議員は町内会の打ち合わせにすら顔を出す。
塩野さんは続ける。
《人気抜群の進次郎にしてこれか、と。彼以外の若手政治家たちは、もっとひどい状態にいるのではないかと思ったのだ。永田町と選挙区の間を往復しているだけで、国会議員である歳月が過ぎてしまうのではないか、と。》
これは小泉議員を取り巻くもっとも頼りになる若手議員にも共通した愚行で、週末になると必ず選挙区に帰るのだそうな。塩野さんはさらに続ける。
《これでは選挙区の有権者が、自分たちが国政に送り出した当の人を選挙区に縛りつけているように見える。》
そのとおりなんですよ、塩野さん。毎週末に地元のイベントや会合などを梯子しなければ、観劇招待をして、バス旅行を実行しなければ、次の選挙で落とされてしまう。小泉議員ですら、その呪縛から逃れられないのである。いわんや普通の議員においてをや。
我が意を得たり。塩野さんの看破したように、選挙民がせっかく自分たちで選んだ議員を縛りまくっている。別に夏祭りに国会議員が来なくたっていいのである。
これは選挙民だけの罪ではなく、議員たちも人気取りのために足しげく地元詣でを繰り返す。そういった対応が広がって(おそらく田中角栄あたりが病原だと思っているが)、今やそれが当然のようになってしまった。それをしないと「あの議員は怠け者だ」という評価になってしまう。本当は、永田町で勉強をしているのだが、「おらが村の祭りに来ねえとは偉くなったもんだべ」ということになる。こんなことが全国津々浦々で繰り広げられていて、それは国会議員から市町村議員まで同様で、これじゃぁ政治は二流と言われてもしかたない。
しっかりとした政治家を育てていくためにも、選挙民がもっと謙虚に賢明にならなければいけないと、塩野さんは言っている。