奴隷の話

「乞食の次は奴隷かよ」と言わずにお付き合いくだされ。

 昭和20年8月、日本はアメリカに敗けた。イギリスには勝った。オランダにもオーストラリアにも蒋介石率いる中華民国にも圧勝である。毛沢東率いる共産党は逃げ惑っていたので干戈を交えていない。朝鮮など、当時は日本だったので、一緒に戦っていたにも関わらず、戦勝国に入ろうと画策して世界から嘲笑されてしまった。戦勝国に化けられなかったので、今度は被害者になって金を日本から毟り取ろうとしている(蔑)。

 敗戦後、日本はアメリカに占領された。日本軍は武装解除され、日本に軍備はなくなってしまった。国土は丸裸になった。このために北の島が「不可侵条約」を破って突入してきたロスケ軍に犯されてしまった。裸で暴徒の目の前に寝そべっているんだから犯られてしまうのは必然であろう。間隙をぬって、一緒に戦ったはずの韓国も、戦後の混乱に乗じ竹島を蹂躙し、今では自国領と言って恥じることさえない。こういうのを火事場泥棒と言う。

 とにかく昭和20年から日本は国家ではなくなった。占領地であり、占領軍が進駐してきて、国内の支那人朝鮮人が日本人を見下して、跋扈をはじめた。戦争に敗けるということは、ことほど左様にみじめなことなのである。それどころか、お互いに国際条規に基づいて戦ったにも関わらず、戦後、占領地ゆえに戦争責任を問われて、何千人もの日本人がリンチまがいの処刑で命を落としていく。「東京裁判」なのその最たるものであろう。

 ワシャは、政治戦略、軍事戦略を間違えた東條英機を許さないものである。しかしそれは、多くの日本の若者の命を愚策によって消耗していったことに対してであって、

ロンドン協定で捏造された「平和に対する罪」とか「人道に対する罪」の罪によるいわゆる「A級戦犯」だからではない。

 そも、戦争という行為の開始は、いろいろな場面での国同士の軋轢から始まる。例えば米中の経済戦が今まさに行われているが、これが軍事衝突に発展したとしても、一方が一方を「平和を乱した」として糾弾できるか……というと、それは難しい。双方が、何もない平和から徐々に戦闘行為に向けて進んでいくのだから、どちらかが平和の状態を壊したなどということはあり得ないのである。それは先の大戦でも同様で、一方的に日本の政府、軍部だけが「悪」とされる状況にはないのだ。

 しかし、東京裁判以降、第二次世界大戦を有色人種として戦った日本は「悪」とされ、国際社会から断罪をされた。特定アジア朝日新聞からは未だに責められ続けている。

 

白洲次郎という極め付きのいい男がいる。近現代においてこれほど格好いい漢(おとこ)を他に知らない。

 敗戦後の日本を完膚なきまでに解体しようとしたGHQ、その統治下にあって、白洲次郎はこう言って憚らない。

「我々は戦争には負けたが奴隷になったのではない!」

 その意気やよし。しかしその後70年、日本人は本当の独立を勝ち得たのであろうか。憲法論議しかり、安全保障しかり、彼岸の白洲次郎に恥じぬ自立した国民のなるために憲法9条の頸木から抜け、自分の意志で、自分の足で動き始めなければならない。