戦争に敗けるということ

 戦争に敗けるということはこういうことなのだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150828-00000060-jij-pol
 支那共産党の御用メディアがこともあろうに、
昭和大帝にいちゃもんをつけてきた。
 アメリカの参戦がなければぐうの音もでなかった蒋介石が、とにかく戦勝国の末席に名前を連ねた。日本とは戦闘すらせずに大陸中を逃げ回っていただけの毛沢東共産党は、戦後、蒋介石を台湾に追い払った。その後、ちゃっかりと「勝った勝った」と喚き、戦勝国面を貫いている。
 どう歴史を掘り返したって、東亜において全力で戦ったのは日本とアメリカである。支那事変前後でも、大陸の空を飛んでいたのは、フライングタイガースだったじゃないか。それも零戦の登場でバタバタと墜とされたのだけれど。百歩譲って、せいぜい蒋介石中華民国が卑怯な手をつかって、なおかつ敗け続けたにせよ、戦っていたと言えば戦っていた。
 でも、中国共産党は己たちの正当性を主張するために、「日本に抵抗していたのは私たちアルヨ」と嘘をつく。まぁ日本に対する発言のほとんどが捏造なのだが、プロパガンダを含めていいようにやられている。悔しいが日本は「抗議」する以外の対抗手段を持っていない。残念ながら、戦争に敗けるということはそういうことなのである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150828-00000060-jij-pol
 支那共産党はこれからも調子づいてなんやかやと言いがかりをつけてくるだろう。侮辱的な言説・行動も多くなるだろう。奥歯がめり込むほど悔しいが、口先で抗議するしか方法はない。そんな玉無し講義しかできないのは、先の大戦で敗けてしまったことが最大の要因であり(勝たないまでもドローに持ち込めば善かったんだけれどねェ)、それに加え、戦後の外交戦、情報戦でしたたかにやられてきた結果として支那共産党の横暴に甘んじている現在なのである。
 明治維新前、極東の平和な小国が欧米列強に恫喝をされた。武力を持たない文化国家は最新鋭の軍艦や大砲の前に、何を言われようが何をされようが沈黙を貫くしか方法がなかった。その屈辱が維新の原動力として現れ、その後、列強の一角のロシアと戦争をして辛勝を得る。誇りを取り戻すのに30年の歳月と、多くの志ある人々の血が必要だった。
 先の大戦以降、日本はソビエト中国共産党の強硬な情報戦に攪乱されてきた。それに染まってしまった文化人や知識人は多い。あるいはアメリカの日本弱体化政策も加わって、日本人のフニャチン化が進んだのかもしれぬ(品がなくてすいません)。
 しかし、ここへきてようやく日本人が覚醒を始めた。長い惰眠から目覚める時が来たようだ。
 今からである。ここから30年、卑屈な歴史観を払拭し、誇りある、理性ある、教養ある日本人をたくさん育て、その上で、この国のかたちを変容させていくことが大切である。土井たか子福島瑞穂のいかがわしさがようやく国民に浸透してきた。村山富一や河野洋平を支持しているのは一部の主義者だけである。
 物事は一朝一夕には変わらない。ワシャが生きている間には誇り高い日本は見られないだろう。だが、今が新たな船出のときだと決意し、これから30年を臥薪嘗胆し、30年後に諸外国に目に物見せてやろうではないか。30年後の子供たちに誇りある国を見せてあげようよ。