普通に考えれば

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 西部邁さんの『国民の道徳』(産経新聞社)が、我家に4冊もあった。1冊はワシャの蔵書に、2冊は長男と次男の書棚に、最後の1冊は職場の机に座右の書として置いてあったもの。う~む、こうやって4冊も揃うと、どれから読めばいいのか悩んでしまうわい。

 勝谷誠彦さんの『バカが国家をやっている』(扶桑社)も3冊あって、息子たちも読んでいたようだ。日垣隆さんの本も息子たちの書棚にもそれぞれあって、名著『偽善系』(文春文庫)など10冊くらいあるのではないか(笑)。

 そんなことはどうでもよかった。

 今朝の朝日新聞社会面である。《「1人で死ねば」発言 波紋》という見出しが大きい。要するに、「拡大自殺」で善良な他者を巻き込まずに「テメーだけで死んでくれ!」と発言したキャスターや識者に対して「別の自殺や事件を誘発する」として批判の声が上がっているというのだ。

 5月30日の日記にも書いたけれど、今回の川崎での凶行が、自殺願望を持つ人間の、独りよがりの犯罪「拡大自殺」であることは、間違いなく、そのことに対して安藤優子キャスターも落語家の立川志らくさんも「1人で死ねば」と言っている。

 貧困者を支援するNPOの代表は、安藤さんや志らくさんに対してこう言っている。

《「死ぬなら迷惑をかけずに死ね」などの言説を流布しないでいただきたい。次の凶行を生まないためでもある。》

 なにをボケたことを言っているんだ。今回の岩崎の犯行前に、そんな言説が流布していて、それに背中を押されて凶行に及んだというのか。池田小を襲った宅間、土浦市金川秋葉原の加藤などが、そんな言説に突き動かされて無差別殺人を起こしたとは到底思えぬ。社会にはある一定数、宅間のような危痴害が存在する。それらが「自己破滅願望」を持った時に、恐ろしい凶行が起きる。そういった危痴害に「頼むから順番を替えて、自分を殺してから、他者への攻撃をするように」と勧めることがいけないことなのだろうか。

 2008年に秋葉原7人の方を殺害し10人の方を負傷させた加藤智大は、定職に就けず、彼女ができないから「勝ち組はみんな死んでしまえ」と凶行に及んだ。

 そういった身勝手な危痴害に「あなただけ死んでちょうだい」と言うことになにか問題があるのだろうか。

 

 冒頭の写真は、決然と自分の人生を自分で幕を引いた西部邁さんの本である。私は「死」を賛美しないが、それでも西部さんの「死」は毅然としていて、己の言説を見事に体現していた。

 

 それに比べて、今回の岩崎のぶざまな死に様はいかばかりであろうか。己の人生の有り様を他人のせいばかりにしている智慧のないものの哀れさが極まっている。それは宅間らにも共通する「腐れ」であろう。

 智者であり、毅然と生き、そして多くの人を導いた西部さんですら、ひとりで逝かれた。なおさらのこと「バカはさっさと独りで死んでくれ」と言う安藤さんや志らくさんの感覚は普通だと思う。