笑える朝日

 5月4日の朝日新聞社会面。昨日は、「くらやみまつり」で盛り上がってしまったので、書くのを忘れてしまった。だから遅ればせながらということで……。

《元「ネトウヨ」の新聞記者「レッテル貼りが対話奪う」》

https://www.asahi.com/articles/ASM4X7J6TM4XUTIL037.html

 相変わらず、途中までしか読ませてくれないので、全文は、図書館などで紙面をお読みくだされ。

 ざっとの概要は、元「ネトウヨ」と称する「琉球新報」の記者が、「ネトウヨ」だったことを「朝日新聞」紙上で懺悔をしているというもの。しかし、「琉球新報」「朝日新聞」と並んだ瞬間に、ワシャは眉に唾をつけましたぞ(真剣)。

ネトウヨ」当時にこの人は《批判の矛先は決まっていて、沖縄の地元紙や、米軍基地建設に反対する人たちは「反日勢力」ととらえていた。「ネットという自由の海で発信することが、国を良くすることにつながると信じていた」》のだそうな。まぁ、それは若いということもあって、そういった考えになることもある。

 そしてこう続ける。

《迷いが生じるきっかけは実社会での対話だった。ヘリパッド建設反対で座り込む人たちを論破しようと東村高江に行くと、「日当をもらっている人」も「中国や韓国の人」もいないばかりか、生活を守りたいという「想定外」の市民の言葉に気おされた。》のだそうな。

 ここがこの記者の限界だな。点だけを確認して思い込むとは、ジャーナリスト向きではないね。27歳だそうだが、まだまだ甘い。「ネトウヨ」だった頃から、まったく進化していないわさ。

「日当をもらっている人」も「中国や韓国の人」はいないと断言するが、どれほどの現場を廻ったのだろう。現実に本土から「アゴアシ」付きで来ている大阪弁の有名なプロ市民は映像に映っているし、ハングルや簡体字で書かれたプラカードも写真に撮られているよね。これをどう説明するのか?新聞記者、ジャーナリストを名乗るならこのあたりをきっちりと説明して、その上での懺悔ではないのか。

 この種の左傾人でもっともよくないのは、周辺に同調勢力しか存在しないことである。要するにオウム真理教サティアンの中にいるのと同じで、過去の自分を全否定し、今の教祖に絶対的な帰依をいたします……という洗脳をされているのである。蛸壺の中にいるものと思えばいい。

 この若い記者は最後にこう言っている。

《自分は、立場の違う人と話すことで世界街広がる経験をした。だからこそ、一人ひとりの多様な意見を大切にしたい。》

 それはけっこうだ。しかし、あなたの先輩の記者が百田尚樹氏の講演会の後に、「話をしようや」という百田さんに対してまったく、栄螺が蓋をするように自分の意見に閉じこもって、結局は議論にならなかった映像も残っている。

 このあたりの社の姿勢も説明しなければ、口先だけで「多様な意見を大切にしたい」と言われてもねぇ。

 自称「元ネトウヨ」だった「現サヨク記者」を全国紙の社会面に登場させて、読者を誘導しようとしている。おそらく熱心な朝日新聞読者なら「なるほど!」と膝を打つのかもしれないが、そんな素直な読者ばかりではないのである。