昨日のタイトルの「だらだらと、すぱっりと」は「すっぱりと」の誤記ですね。失礼いたしました。
今日は、府中の六社明神(大国魂神社)の「くらやみまつり」のもっとも重要な祭儀の行われる日である。
https://www.ookunitamajinja.or.jp/matsuri/5-kurayami.php
このいかがわしそうな(笑)名前のついた祭を、小説の冒頭にもってきたのは司馬遼太郎で、その作品はワシャがもっとも好きな『燃えよ剣』である。
プロローグで、主人公の若い歳三は、ゆかたがけで六社明神に急いでいる。そのゆかたの下には柔術の稽古着をこっそりとまとっていた。司馬さんの文章を引く。
《歳三のこんたんでは、》
《祭礼の闇につけこんで、参詣の女の袖をひき、引き倒して犯してしまう。そのときユカタをぬいで女が夜露にぬれぬように地面に敷く。その上に寝かせる。着ている柔術着は、女の連れの男衆と格闘がおこった場合の用意のつもりだった。》
なんとも物騒な用意である。引用を続ける。
《歳三だけが悪いのではない。そういう祭礼だった。この夜の参詣人は、府中周辺ばかりではなく三多摩の村々はおろか、遠く江戸からも泊りがけでやってくるのだが、一郷の灯が消されて浄闇の天地になると、男も女も古代人にかえって、手当たり次第に通じ合うのだ。》
なんとも結構な祭礼でゲスな(笑)。
《いわば、女の夜市なのだ。》
と、司馬さんは言いきってしまう。しかし、日本各地に同様な祭礼は多く、もちろん今では、そんな形態はなくなっているだろうが、『燃えよ剣』が「週刊文春」に連載されていた昭和30年代には、まだまだ許容されていた文化だった。
おそらく司馬さんは、この起こしを書くために多摩地域に綿密な取材を重ねている。その時に土地の古老から「女の夜市」の話を聞き、「これは使える!」と思ったに違いない。
司馬ワールドでは、歳三がこの夜に、自らの新たな運命まで抱き寄せたと書く。夜市でまぐあった女が、従四位下猿渡佐渡守の妹、お彩佐さまであったのだ。彼女が歳三を京都へと誘っていく役割を演じる。
見事な導入部であり、少し色っぽくもあり、昭和30年代に「週刊文春」の連載を通勤電車の中で少し体を縮めながら必死に読んでいたサラリーマンが数多いたであろうことは想像にかたくない。
平成を経て、令和の時代になり、「くらやみまつり」は単なる地方の祭礼となっていることだろう。しかし、こういった古代より伝承される大らかな「こと」が減少している、あるいは消えてしまった先に「少子化」という問題が横たわっているようにも思える。