まじめに考えよう

まじめに考えよう

《「北朝鮮の核ミサイル、東京に落ちたら数十万人が即死」英シンクタンクが指摘 日米韓は迎撃技術を磨け》
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6254164
 そんなことを英国のシンクタンクにあらためて言われなくても分かっているのだ。ミサイル一発で日本はパニックになる。しかしそれよりも恐いのは日本人がそのことでまた大きく揺り返すことである。揺れ幅が大き過ぎるのだ。
 つい最近までは「平和より素晴らしいものはないわ」「戦争はダメ、話し合いで平和を求めましょう」と頑なに信仰している者どもが、ミサイル一発で集団ヒステリーを起こす。間違いない。毎回右往左往する投票行動と同じだ。戦前の狂気の再現を見せられるようで恐い。
 まともな一群は、それこそ10年も前から迎撃システムの導入を叫んでいた。しかし「平和教」の信者たちがそれを許さなかった。「平和教」の信者ではなくとも、戦後の「平和教育」に毒された日本人がその足を引っ張った。今、導入が議論され始めたイージス・アショアにしたって、直近で決定しても、北朝鮮のミサイルに効果を出せるようになるのに最低で5年かかる。
 あまりに日本人はお人よしで「平和を愛する諸国民の公正と信義」を過度に信頼してしまった。その結果がこの状況である。世界の諸国民は、平和など愛してはいない。いやいや諸国民は自分のまわりの小さな半径の中での平穏を願っているのかもしれないが、その諸国民を統治する権力者たちは、「平和」よりも「権力」と「金」を愛してきた。戦争が地球上から何千年も途切れず起き続けていることはご案内のとおりである。20世紀に入ってからも戦争は巨大にことなることはあっても、なくなるようなことはない。たまたま日本でここ70年ばかりの平和な状態が続いたが、それは先の大戦で何百万もの同朋が命で購った束の間の休息でしかない。この端境期に「平和教」の信者の頭の中はお花畑になってしまった。
 戦争はない方がいいに決まっている。しかし国の主権を守るためには、時には戦うことも必要なのである。国民を奴隷にしないためには、ノブレスは命がけで敵に当たらなければならないのだ。
田嶋陽子らの唱える「話し合えば解りあえるのよ〜」のおかげで、日本の上空をボンボンとミサイルが飛ぶことになったでしょ。これからも上空をミサイルが飛んでいるたびに、曽野綾子さんのように覚悟を知っている人以外は、右往左往することになる。
 だからこういう間抜けなことも起こる。
熊本市の11月ミサイル避難訓練、中止へ》
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170915-00000003-rkkv-l43
 まずミサイルの発射を受けて、避難訓練を実施してもほぼ意味がない。むしろ避難をする訓練よりもミサイル攻撃とはどういったものなのか、座学で教え込む方が有効だと思う。
 北朝鮮がミサイルを発射すれば、今までの状況から考えれば10分で着弾する。発射の4分後にJアラートが発信され、その後、数分で核弾頭は、西三河の上空に差し掛かりピカドンとなれば、その瞬間にワシャは消滅している。昨日の朝のミサイルに核弾頭が装着されていないという保証は金正恩にしかできない。
 6時57分、ワシャは書庫でパソコンに向かっていた。居間にあるJアラートが鳴るのが7時01分、ワシャはびっくりしてテレビを点けるだろう。「何?なに?なにが起きたの?」と右往左往しているとすぐに数分経過してしまう。ピカ!周囲が白くなったと思った途端、繰り返すが、ワシャは消滅している。それどころではない。西三河の一角が消える。おそらく何十万の人が死亡し、その何十倍の人が負傷し放射能を浴びる。
 そろそろ日本人は目を覚ましたほうがいい。人類で3度目の核攻撃を受けないと覚醒しないのではあまりにも情けない。