武州血洗島 神兵組

 う~ん、立派な人だとは思うけれど、最高額面の紙幣の顔となると、どうなのだろう。「日本の資本主義の父」かもしれないけれど、渋沢栄一では血沸き肉踊らない。

聖徳太子」といえば「聖徳太子」ですわな。大陸の帝国の皇帝に五分の親書を突き付けた日本独立の先駆けのような厩戸皇子、これは1万円札の価値がある。下って「福沢諭吉」、かれは「脱亜論」を唱えた先見性を持っていたし、「学問のすゝめ」など、後世の若者に影響を与えた著作をいくつも残している。「聖徳太子」と比べるといささか小粒ではあるが、それでも登場してきた時にそれほどの違和感を感じなかった。

 その点で「渋沢栄一」は一代前の「新渡戸稲造」の登場の時に似た違和感を覚えた。繰り返すけれど、立派な人ですよ、でも、国民的な人気のある人かというと、はてどうなんでしょう?と首を傾げざるをえない。

 

 司馬遼太郎は「渋沢栄一」について、「彰義隊胸算用」という短編の中で、従兄の「渋沢成一郎」を語る際に、わずかに触れているのみである。成一郎が、武州血洗島の在所で「神兵組」という天誅団を結成したくだりで顔を出す。

 この短編では、成一郎は悪役として描かれている。金に汚く、食わせ者で、しかし悪運が強い。しかしこのことは、「渋沢栄一」の偉人としての価値をなんら貶めるものではないが、そういった人物が「渋沢栄一」の周辺にいて、その食わせ者に影響を受けた若者だった。それは事実である。

 少なくとも若かりし頃は、そんな胡散臭い従兄と行動をともにし、横浜の外国人を襲撃しようとしていた危ないヤツだったんだね。

 でもね、そう考えると、「渋沢栄一」、存外、おもしろい人物ではないか……と思わなくもない。