シュリーマンの手記

 トロイア遺跡を発掘したシュリーマンが世界旅行の途中に清国や日本に立ち寄った。1865年というから、慶応元年のことである。このころの日本といえば、天狗党の乱や、京大坂で、暗殺が横行し、新選組が活動を本格化させ始めた時期とかさなる。全国的にも暴動や打ちこわしが続き、騒然とした世相となっているころである。
 シュリーマン、まず清国の天津から書き起こしている。
《私はこれまで世界のあちこちで不潔な町をずいぶん見てきたが、とりわけ清国の町はよごれている。しかも天津は確実にその筆頭にあげられるだろう。町並みはぞっとするほど不潔で……》
《ぞっとするくらい不潔な旅籠を除けば、ホテルというものはない。》
《ぞっとする光景だが……》
 シュリーマン、のっけから「ぞっと」ばっかりしている。そんなことでは支那では暮らしていけませんぞ。

 シュリーマンはそそくさと清国を後にして、日本にやって来る。そしてこう書く。
《日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。》
《「なんと清らかな素朴さなのだろう!」初めて公衆浴場の前を通り、三、四十人の全裸の男女を目にしたとき……》
《シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる。》
 べつに日本の優越性をことさらに言い立てたいわけではない。客観的に欧米人が見た東洋観を並べただけである。

 国民性、民族性というものはそうそう時代とともに変わっていくものでもあるまい。聖徳太子の昔も、菅原道真のときも、北条時宗のころも、そして明治も昭和も、日本人は日本人だった。たまに腰砕けになるときもあるけれど、日本人の勤勉さというものは古事記の時代から脈々と続いてきたものである。
 
 シュリーマンにぞっとばかりされている連中の横暴をいつまでも許していてはいけない。