柳家小三治

 言わずと知れた落語界の大看板である。唯一無二の存在と言っていい。「志ん朝、談志」とともに並び称されたこともあったが、すでにその二人は鬼籍に入り、現世に残されたのは小三治だけである。筋金入りの落語ファンである広瀬和生氏は、《小三治こそ昭和の名人の系譜に連なる最後の存在であり、同じ小さん一門にあって遥か先を猛スピードで走っていた兄弟子の談志とはまた別の意味での「大御所」として、今や押しも押されもせぬ孤高の存在になっている。》と激賞する。

 

 この小三治を聴く機会があった。田舎の公民館とはいえ1000席のホールで、これが満員御礼となっていた。さすが小三治

 前座は柳家小八。前座をつとめたが真打である。ちょうど2年前に真打になった小三治10番目の弟子ですな。年齢は42歳、これからがおもしろくなるところだろう。期待して寝て待ちたい。と思っていたら本当に寝てしまった。疲れていたんですね(笑)。

 そして小三治の登場である。これが凄かった。マクラと言って、本編の古典落語(新作の場合もあるが)に入る前に、ごきげんをうかがう導入部分なのだが、これがあ~た、1時間とは言わないけれど、1時間近くがマクラだった。ワシャは落語を聴くキャリアは長いけれども、これほど長いマクラは初めてだった。それも、本編につなげるための布石というか、フリのようなものはまったくなく、「このあたりは家康の先祖なんでしょ?」と家康の話にいくのかと思えば、「深い話は面倒くさいんで止めましょうか?」と打ち切ってしまう。「年号の話なんですがね?」「オリンピックがもうすぐあるでしょ?」「私ね、趣味がスキーとオートバイなんですよ。オートバイでは稚内から佐多岬まで走りました」……どの話も、ちょっと話はじめて、「深い話は止めましょうか」と話をさっさと切り上げてしまう。聴いているほうは、どの話もみんな中途半端なんで、いらいらするかと思いきや、そこは小三治である。同じ空間にいることが落語ファンにとってはうれしいのだ。客は黙って小三治のするがまま、一挙手一投足を見逃すまいと、少し真剣過ぎるくらいに固まって見ているのである。

三河とそのお隣の……名古屋のあるところ……」と小三治が詰まっていると、客席からオバサンが「尾張!」と声を上げた。小三治は「ああ、そうでしたね、ありがとうございます」と応えて、話を続けた。でもね、あそこでわざわざ会場から大声で教えることだったろうか。無粋なオバサン、悪いけれども、話が詰まるのも小三治なのである。小三治ワールドに変なチャチャを入れないでほしい。でもね、さすが小三治、さっさとあしらって何事もなかったかのように雑談を続けているのだった。

 さぁ長~いマクラを終えて、唐突に始まったのは夫婦喧嘩だった。甲斐性のない旦那を叱りつけ「ででけー!」と叫ぶカミさん。男は死ぬことを覚悟して大ぶりの木の下までやってくる……。

「死神」だった。大ネタ中の大ネタ。コミックの『落語心中』、NHKのドラマ

https://www.nhk.or.jp/drama10/rakugo/

になっているが、この物語の核となる噺が「死神」だった。名人の八雲が「死神」をやって倒れる……そんなドラマだったので「死神」を名人の手で聴きたいと思っていた。それが小三治である。これが落語ファンにとってどれほどの幸福か。小三治十八番のひとつの「死神」、ワシャは鳥肌が立った。

 噺はもちろん小三治バージョンで「寿命の蝋燭の移し替えには成功するものの結局は死んでしまう」ヘーックション!というもの。

 そしてすでに予定時間を過ぎていたのだが、その後に「ちょっと短めにね」と言いながら、「小言念仏」をたっぷりと聴かせてくれた。

 平成最後に小三治に間に合ってよかった、そんなことを思う今日この頃だった。