分田上

 タイトルは「わけたがみ」と読む。深川にある料亭の名前だ。だが、現実にはない。創作の中にだけある料亭である。「分田上」どういう命名なのかが気になった。「田上」という姓はある。だからそれをそのまま料亭が名乗って、そこから分店を出したので分・田上としたのか。あるいは「分田」(ぶんでん)という言葉があって、それは中世に土地を分けることを言った言葉なのだが、店を分けることに当てて、そしてその店が上向きになるように「上」をつけたか。そのあたりのことはドラマの中では説明がなかった。

 

 ショーケン倉本聰の二人の名前がニュースに並んだ。これはワルシャワ的には取り上げざるをえない。

《追悼 ショーケン 倉本聰が語る天才の素顔 「傷だらけの天使」再演を希望も叶わず〈週刊朝日〉》

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190331-00000009-sasahi-ent

 倉本さんはショーケンをこう評価した。

「観察力・吸収力・表現力。三拍子そろってすごく、これは天才だと思いました」 

 倉本ドラマの名作「前略おふくろ様」での板前サブの役は見事だった。無口な山形出身の若者を「アイヤ――ウワア――シカシ――イヤア――イヤマア――ソリャア」だけで演じきった(笑)。

 ここでもなんどか触れた「インナーボイス」をショーケンは大量に持っていた。そのことを倉本さんは高く評価をしていた。先日、この日記でも紹介した倉本さんの『ドラマへの遺言』(新潮新書)で、やはりショーケンのことが紹介されていた。これによれば『前略おふくろ様』は倉本さんがショーケンの主演を求めたものではなく、ショーケンのほうが脚本家に倉本さんを求めたのだという。あの頑固者の倉本さんが、一俳優の求めに応じたというだけでも、倉本さんのショーケンへの評価の高さが知れよう。

 ショーケンのほうも自著の『ショーケン』(講談社)の中で倉本さんに一項を立てている。そこに二人のこんなやりとりが記されている。

《役者として上り調子にあったぼくに、倉本さんの注文は厳しかった。

「板前なんだから、長髪のままじゃいかん。髪を切ってくれ」

「いいですよ」

「それからアドリブは禁止。ホンは一切、いじらないように」

「わかりました。じゃあ、ぼくをウッと唸らせるようなホンを書いてくださいね」》

 役者と脚本家のヒリヒリするような真剣勝負が見えてくる。こういったドラマを見、そのシナリオを読んで育ってきたワシャらが、今の学芸会のようなドラマに辟易とするのはご理解いただけますよね。

ショーケン』の倉本さんの項は、これがそのままシナリオ術になっていて、もう少し早くここを読んでおけば、身の振り方も違ったものになっていたかもね(笑)。

 

 タイトルの「分田上」はショーケン演じるところのサブ(片島三郎)が世話になっている料亭である。ここを中心として、諸々の人間ドラマが展開されていく。おそらく『前略おふくろ様』以前に、「分田上」という変わった名を持つ店は一軒もなかっただろう。でもね、今は全国に「分田上」が沢山あるんですよ。もちろんこのドラマの影響であることは間違いない。

 その「分田上」で活躍した連中をみると、ショーケン大麻不法所持で逮捕されているし、出入の鳶の頭を演じた室田日出男覚醒剤で捕まっている。第2シリーズに出演していた強面の中小企業の社長は本物のヤクザだったし、その彼が連れてきた岩城滉一はその舎弟で、彼も後に覚醒剤と拳銃所持で捕まっている。

 しかし、そういったことがあっても『前略おふくろ様』の良さ、品格というものはこれっぽっちも棄損されるものではない。ドラマさえしっかりしていれば、そこに出てくる個々の役者の乱れた私生活など、片鱗すら覚えないものである。

 

 もう一度『前略おふくろ様』が観てみたいなぁ。