大須演芸場

 一昨日の「出版記念落語会」が再オープンしてから初めての大須演芸場だった。玄関ホールも新しくなっているし、客席も新品のシートがずらりと並んでいた。「やればできるじゃないか」は喬太郎師匠の言。
 ただし、舞台周りは以前のままだった。ワシャの眼の前の舞台に上がる階段も年季が入ったものだった。板戸の書き割りも古い小屋の時と同じ。その上に掛かった「千客万来」の額も健在だ。舞台周りを見る限り裏の具合も替わってはいないね。下手の手狭な控え、板戸の裏の3尺の狭い通路、下手よりさらに狭い上手の袖、裏には入れなかったけれど、そのまんまなんでしょうな(安堵)。
 さて、落語の話である。まずは二つ目の橘ノ圓満(たちばなのえんまん)http://aox.jp/emman0874/
である。橘ノ圓(たちばなのまどか)師匠に入門し、来春に真打昇進だそうな。
 かけた噺は「子ほめ」。前座噺のひとつである。ご隠居も熊さんもきっちりと演じ分け、年齢的、体格的なものもあるのだろうが、風格のようなものも滲み出している。デビューは遅かったが、三代江戸っ子という血を活かして、小さんのような円い落語家を目指してほしいものだ。圓満さんが奥山景布子さんの知人であったことが、今回の「出版記念落語会」につながった。
 次に高座に上がったのが、柳亭左龍(りゅうていさりゅう)。ワシャの持っている古い『東京落語家名鑑』には、若い頃の左龍が柳家小太郎という前名で載っている。ほう、柳家さん喬の弟子か。つまり喬太郎の弟弟子ということですな。
 左龍がかけたのは「壺算」。とぼけた男がしたたかな兄貴を誘って水瓶(壺)を買いに行くという単純な話である。いろいろなことを言いつのって、水瓶を安くせしめようという交渉の噺で、算術脳の足りない番頭が混乱をきたすところが見せどころだ。
 原話が京都なので、やはり上方言葉の噺のような気がする。桂枝雀の「壺算」を聴いたことがあるが、突き抜けた高座だった。枝雀と比べては申し訳ないが、まぁ普通の真打の「壺算」といったところか。
 そして柳家喬太郎である。とんでもないということは、昨日気がふれた……いやいや、昨日ふれた。いやいやいや、気がふれるくらい面白いのだからしかたがない。長く喬太郎を観てきたワシャの友達はこう言っていた。
「いい意味で何も変わっていない。当代随一の売れっ子になってもこまめに笑わせてくれる」
 その喬太郎のかけた噺が「竹の水仙」である。ワシャは「甚五郎」という名で記憶していたが「竹の水仙」という別名もあるんだね。噺は「名人もの」というか、たまたま長逗留している客がいて、そいつが一文無しだった。宿の主人が支払いを請求すると、作品をこしらえて「これを売れ」という。それが毛利の殿様のお目にとまる。竹の水仙が百両に化け、傾いていた宿を建て直す……というような目出度い噺である。
 本来の「竹の水仙」は三島の宿が舞台となっている。それを喬太郎は鳴海の宿に替えて演った。まくらでも席亭をいじったりして、ご当地よいしょも含めサービス精神は旺盛だ。喬太郎師匠、座談会のときに、風邪を引いていると言っていたが、その咳きこみすら、噺の中に織り込んでしまった。ワシャの浅い体験では、そんな落語家を見たことがない。
 圓満さん、左龍さん、奥山さんもひっくるめて大笑いをさせてもらった。
 今回あらためて「笑う」ということが、メンタルに強い効果をあらわすことを実感した。ちょいと驚いている。