菜の花忌

《たいていの技能は、いくら片手間の習得でも三十年もやっておれば、立派に専門家になる。(中略)要はサラリーマン個々が、人生に緊張感をもつかもたぬかで決まろう。毎月の月給を三百六十回ノンベンダラリと貰っただけで人生の活動期を終える人物なら、何とも申しようがないが、もし成すあろうとするならば三十年の歳月は、十分に人間を育てうる。》

 司馬遼太郎さんが逝って22年。上記の文章をふくむ『名言随筆サラリーマン』を上梓されたのが昭和27年、29歳の時であるからさらに44年前のことである。

 その文章にアホなサラリーマンが接したのが、30年くらい前の話で、ちょうど書かれた司馬さんと同じ年頃たった。

 同じ人間なのに、ずいぶんとモノが違いますなぁ(自嘲)。司馬さんは29歳で「30年あれば人は十分に育つ」ことを認識し、実践をして、実績を上げられた。かたやアホは茫洋とした霧の中で手探りを続けていた。その最中にこの29歳の司馬さんが放った名言に指先が触れたのである。

「これだ」とアホは思った。そしてアホは立ち上がった。

「ノンベンダラリと過ごすものか。30年の歳月で己という人間を育てよう」

 そう思って、歳月を過ごしてきたが、これがなかなか思うようにはいきませんな(笑)。一所懸命にやってきたつもりなんだが、緊張感をもって生きてきたつもりなんだが、ノンベンダラリと360回の月給を貰っただけだったのかなぁ。

 30年、とくに司馬さんが彼岸に旅立ってから、司馬さんの本を必死に読み耽って、そしていろいろなことに挑戦してきた。そのどれもが中途半端といえば、そうなんだけど、おそらく普通の人が娯楽に興じている時間も「成すあろう」とするために費やしてきた……つもりだけだったのかにゃ(とほほ)。