敗戦の頸木

 先日、ネットの「虎ノ門ニュース」で、参議院議員青山繁晴さんが「敗戦の頸木」という言葉を口にされた。的確な言葉だと思った。我々日本人は、先の大戦アメリカに敗北をした。だが大陸で戦った蒋介石には負けていないし、もちろん、その頃に日本国内だった朝鮮半島にどうやったら負けるのか、想像すらつかない。ファンタジー好きな民族のことは時間の無駄になるので措いておく。

 70年前、日本は、ソビエトコミンテルンの陰謀により、圧倒的な軍事力を有するアメリカと対決せざるを得ないところまで追い込まれ、4年の死闘の後に降伏を受け入れた。甚大な被害を出した。列強の一角に食い込んでいた極東の国は、世界最貧国に陥落した。

 4年間、ある意味で正々堂々と戦ったアメリカは、日本の強さをその身で実感した。この国をそのままで置いておくことは危険だと思った。そして世界を共産主義社会にしようともくろむコミンテルンも日本の無力化を画策する。これが「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)であり、日本人の首に固定された「敗戦の頸木」なのである。WGIPとは、東京裁判が正当であって、侵略戦争という「戦争犯罪」の責任が日本国民にだけあると流布することで、贖罪(しょくざい)意識を植え付けることにあった。

 しかし、これは嘘だった。ここが重要ですよ。嘘なんです。コミンテルンが裏で仕掛け、それに乗せられたアメリカが日本人に施した洗脳政策と言っていい。

 ワシャは、歴史が好きだ。手当たり次第に読んできた。もちろんWGIP側の本も読み、そうではないという主張にも触れてきた。そこでなんとなく理解できたのが、日本史でも世界史でも、戦争というものは片方だけが「悪」でもう一方が「完全善」なんてことはあり得ない、ということである。双方に問題があって、いろいろな齟齬が重なり、開戦となって戦争に至る。戦争をしつつも水面下では外交交渉が続けられ、落としどころを探る。そして終戦となって、領土や権益の再配分が行われ、戦争ではない状態になる。そういうことなのである。

 日本の場合、何百万人もの人命が失われ、満洲国は消滅し、台湾・朝鮮半島を失い、千島・樺太ソビエトに侵略され、南洋の諸島も奪われてしまった。それだけの犠牲を払っているのである。戦争が終われば、ノーサイドでいい。しかし、連合国側(とくにソビエト支那が強硬)がWGIPという頸木を日本に課してきたのである。

 相変わらず、この頸木を首にぶら下げたまま歩いている日本人のいかに多いことか。左翼、反日の皆さんは、この頸木を勲章のように煌びやかにして喜んでぶら下げている。アホか。

 この頸木から脱しようというのが、青山さんの主張であり、ワシャはそれに同調するものである。日本の正しい歴史を再認識しよう。

 

 戦争といえば「選挙戦」という戦いもある。今回、東海のどこかの町で市長選挙があったらしく、そこでは現職と新人候補2氏との三つ巴の選挙戦が繰り広げられた。まぁぼやかして言っていても仕方がないので、はっきり言えば愛知県安城市の市長選で、5期目を目指す現職と、衆議院議員を辞して多選を阻止しようする新人候補と、8年前に現職に対抗し破れた元市議のリベンジが、複雑に絡み合っての市長選挙となった。

 当初は接戦が予想されたが、知事選と同日選だったことが功を奏し、また労組系が全面的に現職に与したことから現職の大勝となった。落ちた2人の候補者の票を足しても、現職の5選を阻むことは叶わなかった。

 衆議院議員を辞して、背水の陣で戦いに臨んだ大見正候補は、自民党県連の妨害もあって「自民党推薦」を取れなかった。それでも国政からは、河野太郎外務大臣石破茂氏をはじめ多数の国会議員が事務所を訪問して激励していた。しかし、リベラル系の大西健介衆議院議員と労組系の支援を受け、かつ水面下で大村知事系勢力のバックアップを受けた現職の神谷学候補が圧勝した。

 個人演説会、出陣式、決起集会、桃太郎、事務所の活況などを見ても、圧倒的に大見候補が優勢に見えた。だが、現実には組織を動かした神谷候補に軍配が上がった。

 

 もう少し詳細に分析してみよう。

 大見候補は国政では麻生派に属し、この関連の国会議員の支援は取り付けた。とはいえ選挙事務所に何百枚と貼られた「為書」はそれらが一票につながることはない。麻生副総理の為書でさえ一票の価値もなかった。自民党県連はどこからかの圧力で推薦を出さず、公明党の市議も支援に入っていたが、3人の内の2人は神谷候補の支援者に名を連ねていた。つまり大見候補は票にならないところからの支持は取り付けていたが肝心の票田を確保していなかった。

 かたや神谷候補は国政の自民党と敵対する大村知事の裏支援を取り付け、自民党県連の水面下での(大見候補の足を引っ張る)応援を受け、国民民主(リベラル系)の大西健介衆議院議員とは個人演説会で蜜月の関係を見せつけ、その延長上で労組系の票を確保した。戦略としては神谷候補が一枚上手だったが、ただしその立ち位置は自民なのか、国民民主なのか、はたまた大村知事の「日本一愛知の会」なのか、ごちゃ混ぜ過ぎて、理解できない。「これが地方選なのだ」と言ってしまえばそれまでなのだが、その節操のなさはいかばかりであろうか。「勝てばいいのだ」「勝てば官軍なのだ」は、確かにそうだろうが、尻の座らぬ居心地の悪さは拭いきれない。5選目の市長は、いっそのこと、「私はリベラルである」と言い切ったほうがすっきりするのではないか。

 神谷市長は、4期目の選挙で対抗候補を応援した市議会議員に対して、選挙後に「後援会長を同道の上、詫びを入れに来い」と言ったそうだが、それは今回はやってはいけない。選挙戦は終わったら「ノーサイド」なのだ。敵も味方も力を合わせて市政運営に尽力するべきだ。変なことをしてギクシャクさせることはない。勝者の余裕を見せるべきだと思う。

 間違っても、敗者側に頸木をはめるようなことをしてはならない。