トップの美学

 ニュースが錯綜していて、ゴーン会長の年収は100億円で、その内の50億円を誤魔化していた……という話ではなくて、5年間で100億円の報酬の内、50億円を猫婆していたということなのか?今朝の新聞には、「ゴーン会長の住宅購入に数十億円か」という見出しも踊っている。なにしろ10億〜100億円クラスの金の話で、庶民にはまったく縁のない額だった。違っていたらご容赦くだされ。
 
 今回のゴーン騒動は、一人のカリスマ経営者が独裁者に変貌していった末のクーデターと言っていいだろう。2012年から日産の代表取締役になっているから、18年もそのトップに君臨し続けた。長期政権と言っていい。本人も周辺も腐ってしまう長さである。ゴーンのようにカリスマでさえそうなのだから、凡庸なリーダーの賞味期限はもっと短いと思ったほうが正しい。
 例えば、自治体で考えてみよう。東京都からなんとか村まで、1788あって、そこに首長が座っている。町村では8回、9回なんていうツワモノもいるようだが、この首長のいる町が腐っていないことを祈りたい。
 そもそも、地方自治体の頭などイワシでもできる。記憶に新しいところでは、前新潟県知事、医者で弁護士だったけれどアホだったでしょ。前東京都知事の舛添氏もイワシに近かった。両者ともに東京大学卒業で、そんなものなのである。徳川家康北条政子のような人物は、そうそう登場するものではない。
 どうせその程度のことだからワシャは任期3期でいいと思っている。当選1期目は、その組織がどういった仕事をしているのかを見極める。首長になろうという自負を持っている人である。4年あればあらかたの勉強はできるよね。そして2期目に自分のやりたいことを打ち出して実行に移していく。3期目にはその総仕上げである。そのころになると部下も首長の性格を把握してくるので、肌理の細かい仕事ができて、そして惜しまれて次の人材にバトンタッチをしていく。こういったサイクルが健全だ。
 ただ凡庸な人物が自分を過大評価してしまうと大変だ。部下は肩書にひれ伏している。それを自分の実力だと誤解するところから悲劇が生まれる。ワシャの経験からすると、この悲劇は職業政治家にかなりの確度で発症する。総仕上げをしなければならない3期目あたりから、あちこちに顔を出したくなるのだ。皆さんの町でも、広報誌というのがあると思いますが、そこに頻繁に首長の記事(写真・コラムなど)が出るようになると末期症状かもしれない。

 坂本龍馬北条時宗のように、やるべき仕事をやったら、さっさと退場して、次のステージは次の世代に委ねる、それが首長の美学なのである。