権力について

姫島村61年ぶり村長選へ…16期連続で無投票 大分》

https://mainichi.jp/articles/20161018/k00/00e/040/177000c

大分県の離島に「住みよい北朝鮮」を築き上げた村長親子の末路》

https://president.jp/articles/-/39373?page=1

 それにしても親子で村長の席を56年間って、半世紀以上でっせ。それだけの間、一家で独占し続けているとは。上記の2番目のタイトル「住みよい北朝鮮」は、書き手の皮肉だと思うが、16期無投票は、「北朝鮮」と言われてもいたしかたあるまい。

 でもね、それだけ長期にわたって信任を得るというのも諸々の事情があるにせよ大変なことだと思う。この村長が謙虚な気持ちの持ち主なら16期が20期でも問題はない。しかし、権力というものはどうしてもその席にあり続けたいと思わせる魔力がある。この村長もその誘惑には勝てなかった。要は普通の人だったということですね。

 島の人口は1900人ほどである。はっきり言ってワシャの所属する町内会より少ない。ワシャが中学校の頃の学校がマンモス校で、1300人くらい生徒がいて、そこの生徒会長が人気者で1100票ほどを取っていたので、17期目の村長の得票が1199票ということは、だいたいそのくらいのボリューム感か。

 期を重ねることの弊害は、権力者に阿る者たちが現われ、それが権力者を腐らせる。賢人でない限り「ひょっとしたらオレは偉い人間なのか?」とどうしても思ってしまう。だいたいワシャの見るところで4~5期目でそれが始まり、6期を過ぎれば部下はトップの顔色しか見なくなってしまう。専制独裁が始まるのである。

 気の小さい首長でも数期も重ねれば、周りは自分より経験の浅い職員ばかりになり、ついつい思い付きを口走るようになるんですね。それほど都市計画、まちづくりにセンスを持っている首長はいないから、どうしてもダサイ町が造られることになる。それを職員が一所懸命に修正はするんだけど、そこはそれ専制独裁ですから、最終的にはトップのセンスに落ちつくんですわ(泣)。

 まぁそれが時には、無能な御輿を担ぐナンバー2ということもあるんですね(笑)。

 無能な御輿でも5期も6期も続けるとね、なんとなく色錆びてきて風格が出てくるものですが、それはあくまでも印象だけ。中身は軽い御輿のままなのである。

 どちらにしても権力をもった人間の資質にかかっていることは間違いない。とどのつまり、どうしたらいいかというと、人のセンスにはいろいろあるから、3期程度で頭を挿げ替えていくに限る。そうすれば職員の言う事にも耳を貸すし、横柄にもならず、権力も振りかざさず、センスが悪ければ、9年なら次の首長の修正が効くので被害は最小限にとどまる。

 いくら中学校の生徒会程度の小さな自治体とはいえ、親子で50年以上もの長きにわたって行政を牛耳ることはよくない。

 

 西三河岡崎市で市長選が告示された。現職と新人2人の一騎打ちとなる。それはいいのだけれど、その2人とも父親がかつて岡崎市長だったという話。やっぱり政治って世襲なのかねぇ。