長崎で感じたこと

 仕事で3日ばかり長崎に行っていた。同僚も何人か同行したわけだが、出張の準備段階から「あの店の何が美味しい」とか「あの場所の景色がいい」とか盛り上がっていた。それはそれでいい。しかしワシャはそういった会話には馴染めず、独り、取材準備のようなことに勤しんでいた。どっちがいい悪いと言いたいのではない。ワシャは、そうすることが楽しいからしているのであって、食事先を探したり、仕事を終えた後、どの観光地に行くのかを話すことも、それはそれで構わないと思っている。

 

 ワシャはいつもそうしているのだが、行き先の最新の「分県地図」や「都市図」を入手する。だから本棚にはそんな地図が50以上並んでいる。今回は「長崎県」(昭文社)を購入した。「長崎市」も欲しかったんだが、これはいつもの本屋さんの棚になく、行ってから駅周辺の書店で購うことにした。併せて今回の仕事の主たる目的の関連本を読み込んでおく。さらに、長崎関連の本、例えば司馬遼太郎肥前の諸街道』(朝日文芸文庫)や、『長崎県の歴史散歩』(山川出版社)などに当たって雑学の吸収にも余念がなかった。

 司馬さんに依れば、長崎を領地とした長崎氏について《長崎というのは、もともと長崎湾の奥にそういう地名があって、そこを宰領した地侍が地名をとって苗字とした、と私は思っていたが、ひょっとすると、逆であったかもしれない。》と言われる。

 いつの時代かに「長崎」という苗字をもつ者がやってきて、湾の奥に居を構え、その後、その苗字が地名になったのではないか?と司馬さんは推論を立てる。その証拠として、長崎の長崎氏は「我が家は関東からきた」と称していた。そして、その出自は「代々伊豆国田方郡長崎村を領し、北条泰時の執事をつとめていた」としている。泰時って北条義時小栗旬)の息子です。

 それならば、長崎氏が最果てに来てそこを長崎村に見立てて「長崎」としたというのもうなづける。確かに、伊豆半島の根元、駿河湾の西に見る伊豆の国市の盆地に長崎という地名があり、長崎神社も存在する。ここから九州まで行って、海を西に見る場所(長崎)に居を構えたというのもかなり説得力がある。まぁどちらにしても風光明媚な土地で、山も海も川も坂もない西三河南部とは比べ物にならない。長崎氏が長崎を選んだ気持ちが理解できるような気がする。

 確かに田上長崎市長も「長崎の景観を売っていく」と言っておられた。山あり海あり川あり坂あり夜景ありの長崎は、どの方向を見ても絵になっているから悔しいじゃありませんか(笑)。

 

 その他にも吉村昭さんの作品を当たった。出世作である『戦艦武蔵』(新潮文庫)の取材で吉村さんは何度も長崎を訪れていて、長崎の風景がそのエッセイの中にも散見される。

 例えば、エッセイ「長崎のおたかちゃん」では、思案橋界隈の小料理屋のことを書いている。お酒の好きだった吉村さんは、旅先で見知らぬ店を訪ねて酒を飲むのが魅力だと言っている。

 ただし酒が出てくればどんな店でもいいというわけではない。

《未知の地で飲む店を選ぶのは客層をたしかめること》と断言され、入り口の戸を細目に開けて中をのぞくのだそうな。

 長崎のおたかちゃんの店は、中をのぞくと《おでん鍋をかこむカウンターには中年の男たちが大人しく酒を飲んでいた。値段が安く、懐の乏しい私には好都合で、長崎に滞在中、毎晩その店に通った。》と書かれている。

 残念ながらその店は平成の半ばで閉店しているので、今はもうないけれど、思案橋横丁の猥雑な雰囲気の中に、その残り香が漂っているような気がした。

 

 また吉村さんは取材の過程として、図書館にも頻繁に足を運んだ。もっともよく通ったのが長崎県立図書館で、長崎駅の東700mくらいのところにあって、ここの元館長との交流が深かった。今回も吉村さん所縁のここを訪れたかったのだが、なにせ時間がなくて、仕方がないので宿から近かった長崎市立図書館に立ち寄って代替えとした。それにしても長崎市、財政力指数が0.57とかなり厳しいのだが、図書館も広く新しいし、市役所の新庁舎19階建ても完成間近だし、駅周辺の整備や区画整理も大々的に実行している。

 さらに言えば、ジャパネットホールディングスの高田社長が長崎駅の北側に長崎スタジアムを立ち上げるという。実はね、そこを見に行くというのもワシャの個人的なミッションには入っていて、某所で高田社長のお話をお聴きしてから、昼飯も食わずに現場へと向かったのだった。

 運のいいことに巨大な工事現場の正面のゲートが開いていて、たまたま通りかかったので中をじっくりと覗かせてもらいましたぞ。そうしたら、現場事務所から監督のような人が飛んできて、「関係者の方ですか?」と不審そうにワシャに尋ねてくる。

 ワシャは満面の笑みで「いいえ、通りすがりのものです」と言って会釈をすると、「ここは大型車両が通過しますので危ないですから立ち止まらないでください」と言う。要は「シッシ」ということでゲス。もちろんワシャは丁寧にお礼を言って、その間にもじっくりと現場の状況を確かめながら通り過ぎていったのでした。

 詳細については機会を改めたいが、とにかくこれがすごい事業なのである。トータルで800億円の仕事をジャパネット高田だけでやりきろうとしている。これは社長の話からも伺えた。

 7月に千葉県の船橋市に建設中のアリーナの視察にも行ったんだけど、ここも三井が単独で、行政の手を借りずに建設を進めていた。突き詰めれば、民間のビッグプロジェクトに行政を絡めると、どうしても総花的になりピントがボケてしまって、結局、なんのための施設かがよく解らなくなってしまうということが、平成時代の失敗例として数多残されている。これを解消するには施工主(民間)が徹底的に主導して行政に口を出させないことが重要で、行政がやれるとするなら周辺整備を助けることであり、間違っても建て方などに口を挟んではいけない。

 所詮、行政の持っているノウハウなど知れおり、張り切った首長が全国のアリーナを見て回ったって、屁の突っ張りにもならない。そのことを自覚しない首長が、なんだかよくわからない多目的(は無目的)な施設にしてしまって、閑古鳥が鳴いているという状況を作り出す。

 民のことは民に任せよ。しかし、その周辺整備については、民としっかり議論をしながら何が一番いいのかを導き出し、一旦こうと決めたら全力で整備する。極力、建物本体に行政が口を出すべきでないことは警告しておく。

 で、そもそも行政の補助金を当てにしなければ造れないような施設なら、最初から止めたほうがいい。強い民間企業が民間主導で地域の創生を造っていくことの重要性を、進展著しい長崎で強く感じたのだった。