地方の悲哀を感じる

 東京ではすでに土曜日から、百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎
https://books.rakuten.co.jp/rb/15675934/
が店頭に並び、早い人は購入してすでに読み終えている。SNSではすでに本の感想が飛び始めている。
 日曜日に近所の書店を確認に回ったのだが、愛知の田舎では、当然のことながら書店にはまだ届いていなかった。原則、発売日は12日なので、当然といえば当然なのだが、東京ですでに出回っていると聞くと、なんだか田舎は寂しいなぁ。
 ワシャは発売決定早々、10月の早い時期にネットで注文した。だが、商品出荷のお知らせでは「今日」になっている。先行予約したものが、お預けをくらい、先行予約しなかった人が先んじて読めるとは……悔ちい!
 早い時間に書店に走って『日本国紀』を引き取ってこようっと。

 日曜日に近所の書店を回ったと書いた。もしそこで『日本国紀』が発売されていれば、ネット注文をしていてももう一冊購入するつもりだった。結果として買えなかったわけだが、書店に行ったのだから、ワルシャワの矜持として手ぶらで帰ってくるわけにはいかない。「文藝春秋」や「週刊ポスト」などをレジに持っていくと、いつものことながらPR誌を何冊かもらった。その中に岩波書店の「図書」があった。それらを帰宅して、順番に読み始めた。順番でもないか、あっちを読んだり、こっちを見たり、読み散らかしていると言ったほうがいいかも。
「図書」を手に取ったのは昨日の夕方だった。パラパラとページを繰る。瀬戸内寂聴には興味がない。鈴木大拙についての論考があるのでこれは読んでおこう。古代文学研究者の三浦佑之氏の「風土記博物誌」は毎回楽しみにしている。
 およよ、洋服製作をしている行司千絵氏の「精文館と児童誌『カシコイ』を探して」という文章があった。行司氏自体をワシャは知らなかったし、精文館にも児童誌にも興味があるわけではないので、普通は素通りする。しかし、ペラッとめくった瞬間に「新美南吉」というワードが目に入ってしまった。行司氏が児童誌『カシコイ』に出会った話の中に《気持ちを一変させたのは、昨年にインターネットで偶然、『カシコイ』についての記述に行き着いたからだ。そこには思いもしないことが書かれていた。まだ無名の新美南吉》と、ここに出てきたんですな。《まだ無名の新美南吉に作品を依頼して掲載していたこと。そのなかには、現在も国語の教科書に載っている「アメダマ」もあり、初出誌にあたること。》とあるんですね。
 
 ワシャは、本を読んでいればそれで暮れていくのだが、なかなか浮世はそればっかりでは過ぎてはいかぬ。「図書」を読んでいたら、地元の顔役から電話が入って「いまから会えるか?」と言われるので、「図書」も「九州場所」も捨てて、出かけるのであった。やれやれ。