立秋前日

 司馬遼太郎誕生日。大正12年の今日、司馬遼太郎はこの世に生を受けた。存命ならば95歳である。95歳のかたというと世間にはざらにいますよね。できれば司馬さんにもご長命でいてほしかった。その後の日本人にいろんな意味で薫陶をいただきたかった。

 昨日、ある会議で植物に詳しい方と同席した。その方が憤ってこう言った。
「最近の街路樹の剪定はなんなんだ。あんなもの剪定じゃない。伐採だ」
 その方は、昨今の緑の減少を憂いており、樹木をいじめる政策を真っ向から否定する人だった。
 言われるとおり、もうすでに街路樹の剪定が始まっている。剪定というか、強剪定というか、電柱作りというか……。樹木はこの時期から、葉をひろげ、光合成を行って、成長していく。その一番大事な時期に、枝ごと伐り落としてしまう。街路樹はみごとに裸にされ、幹線沿いに丸太ん坊がぞろぞろと並ぶ風景が出現する。こんな風景を見て楽しいですか?
 樹木はこれから葉を繁らせて、涼しい木陰をつくってくれる。青々としたそして葉は、自分の温度が上がり過ぎるとダメージを受けてしまうので、根から吸い上げた水分を葉の表面から蒸散して温度を下げる。直射日光を遮ってくれるばかりではなく、天然のクーラーとして温度を下げてくれるのだ。
 でも、沿線の住民から苦情が出たんでしょうね。「落ち葉で汚れるじゃないの!」てなクレームが何本か入ったりすると、役人は面倒だから「葉が茂る前に枝を落してしまえ」ということになる。
 秋になってさ、落ち葉が舞ってさ、それがカサコソ音を立てながら、庭に落ちてくる。それを掃き集めることが面倒になってしまったんだね。まぁ集めたって、それに火をつけて「落ち葉焚き」などしようものなら、近所から役所に電話がいって「隣の家の庭で何かを燃やしている。煙たいし危ないじゃないか」と言われれば、役所は急きょその家に直行して、「落ち葉を燃やすのは止めてください。ゴミ袋に入れて燃えるごみの日に出してください」と指導するだろう。
「そんなら葉っぱが落ちないようにしろ!」と言いたくなる気持ちも分からないではない。
 なにしろ世知辛い世の中になってしまった余波を街路樹がまともに受けているということですな。

 秋たつや川瀬にまじる風の音

 飯田蛇笏の詠んだ、立秋の句である。ううむ、秋が立とうとしているのに、涼しい風などどこ吹く風。秋が恋しいのだ〜!