恥辱の報い

 歌舞伎の話が続いている(ごめんちゃい)。
 夜の部は歌舞伎十八番の「勧進帳」で、白鸚幸四郎の親子で弁慶と富樫を演じる。これは見応えがあった。白鸚の年齢的なことを考えると、おそらく見納めかも知れない。それぐらい貴重な舞台だった。
 そしてトリが「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべさとのえいざめ)である。まず題の解説をば。
「籠釣瓶」は刀の名前である。切れ味のいい刀に「籠釣瓶」と名付ける。由来は、籠で作った釣瓶は水が切れてしまう……よく切れる、よく斬れるということから「籠釣瓶」となるらしい。「花街」(さと)は吉原のことですよね。「酔醒」(えいざめ)はそのまんまで酔い醒めということで、切れ味のいい太刀が吉原で事件を起こしそうな予感を込めた題となっているのじゃった。
 この話、江戸は享保年間に実際にあった「吉原百人斬」という事件を基にしている。鶴屋南北や並木五瓶が先行作を書いてはいるが、今回上演されている河竹新七の手に成るものが出色の出来と言われている。
 話は上州佐野の分限者の次郎左衛門がこれが正直ないい男だった。ただしあばた面のぶ男で田舎者だった。この人が吉原で花魁の八ッ橋に入れあげる。身受け話まで進むんだが、八ッ橋のヒモから反対され、八ッ橋は、次郎左衛門に愛想尽かしをしなければならなくなる。次郎左衛門の振られ方が凄まじい。
 次郎左衛門が満座の中で女郎に恥ずかしめられる悲哀、ここを、本来は色男の幸四郎が見事に演じた。八ッ橋の遠慮のない辱め、商人仲間の侮辱、仲居や幇間の憐れむような眼差しや無神経な慰めの言葉に、必死に耐え、しかし徐々に弱っていく次郎左衛門がそこにいた。八ッ橋の非道なやりように怒る女将が「なんとも申し訳のない始末、八ッ橋に掛け合って、もとに戻すから」と言ってくれる言葉にさえ、みじめさをさらにつのらせる次郎左衛門だった。
 その屈辱が4か月後に大事件を引き起こす。次郎左衛門は家宝の「籠釣瓶」を手に吉原に再来したのである。

 人への侮辱は度を超さなくてもいい結果を生まない。度を越せば必ずや侮辱したものへ災禍となって返ってくる。そういうお話ですな。