伊勢音頭恋寝刃

 現在、名古屋御園座に吉例顔見世が掛かっている。座頭は六代目中村勘九郎片岡仁左衛門尾上菊五郎市川左団次らが脇を固めて、なんとか勘三郎の不在を補っているかたちだ。
 今回の演目は5つである。昼の部が、金太郎出生譚の「八重桐廓噺(やえぎりくるわばなし)」、「けいせい倭荘子(わぞうし)」から「蝶の道行」、「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」の3狂言。夜の部は「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」、「義経千本桜」の2狂言となっている。
 今回はすべて人形浄瑠璃由来の狂言ばかりとなった。
 その中でも「伊勢音頭恋寝刃」である。これは御園座にとってはご当地狂言ということになる。なにせ舞台が伊勢の古市にある遊郭ですからね。
 江戸時代には大きな遊郭が5つあった。江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町、長崎の丸山、そして伊勢の古市である。あるいは三大遊郭と言えば、吉原、島原、古市になり、往時は妓楼70軒、遊女は1000人を超えたというから新町や丸山よりも繁昌していたのだろう。妓楼の中でも大楼と呼ばれたものが備前屋、杉本屋、油屋の3軒である。その油屋で殺傷事件が起きた。いわゆる「油屋騒動」である。
 ざっと史実をなぞりたい。
 寛政8年(1796)5月4日の夜のことである。宇治の医者の孫福斎(浄瑠璃では福岡貢)が伊勢古市の油屋に立ち寄った。斎の相方になったのがお紺という遊女である。しかし斎が退屈な男だったのだろう。座敷は盛り上がらず、お紺は途中で呼ばれて他の客の部屋に移ってしまう。まぁ遊女屋ではよくあることなのだが、お紺に席を外された斎は、侮辱されたと感じてしまった。要するに遊び方を知らない朴念仁だったと思われる。若い衆や仲居になだめられていったんは帰ろうとするが、玄関口で脇差を返されると、いきなり仲居に切りつける。典型的な酒乱ですな。その上にてんぱってしまったので、もうあとは手当たり次第に目に入った人間に斬りつけるという狂乱状態。お紺はなんとか逃げきったが、最終的に油屋の老女おきさと遊女のおきしを殺害し、その他にも負傷者7人を出す大惨事となった。
 これを題材にして、複雑なお家騒動を絡めあわせて人形浄瑠璃に仕立て上げた。これが大ヒットとなる。おかげで生き残ったお紺は大評判となって油屋は諸国の野次馬で大いに賑わったのだそうな。
 さて、近松徳三(門左衛門の弟子の半二の弟子)の書いたフィクションの方である。単に、「遊女に袖にされたブ男がとち狂って暴れましたとさ」では物語にならない。とにかく主人公は格好良くなければお客に受けませんわなぁ。だから支那人のような孫福斎という名前を福岡貢(みつぎ)という名前に替え、立ち位置も主人の難儀を助ける忠義のヒーローとして描かれる。
 物語は阿波蜂須賀家のお家騒動から始まる。お家乗っ取りを謀る悪人どもが、善人の家老今田九右衛門の失脚をねらって、名刀「青江下坂」を奪い取る。その探索をしている九右衛門の息子の万次郎は、ようやくのこと「青江下坂」を入手するのだが、こいつがアホボンで、女郎屋通いをするために、悪人の口車にのってそいつを質入れしてしまう。困ってしまって九右衛門はかつての家来だった貢に助けを求めるのだった。
 油屋のお紺はそのままの名前で登場する。ワシャは「おこん」という響きが気になっている。コンコンおこん……手塚治虫の『陽だまりの樹』にもお紺という夜鷹が出てくる。七化けのお紺とも呼ばれる女傑で、女狐のような女だった。おこん=女狐=男を騙す……という連想で、油屋のお紺にも一種怪しさを感じてしまうのである。
 一応、「恋寝刃」ではお紺は善の登場人物なのだが、史実のお紺は、どうにも女狐のような気がしてならない。
 刀を取り返す過程で、悪人方の万野(まんの)という仲居を誤って切ってしまう。過失傷害だ。しかし、妖刀「青江下坂」が血を吸ってしまった。もう貢の意志に関係なく惨劇は始まってしまうのだった。刀に魅入られた貢の演技がどこまで出せるか、ここが勘九郎の先途である。

 最後に見どころをいくつか紹介する。
 後半、貢の怒りが鬱積してきたころのドスの利いたセリフは聴きどころである。
「万野を呼べ」
 このセリフのあとに続く見得や、刀の代わりに扇を握っての見得などがおもしろい。敵役の万野を菊五郎が演じる。この役は、憎々しさを出しながらも、相応の色気も醸し出さなければならない難役である。まぁ菊五郎ならば大丈夫でしょう。
そんなことを考えていたら、早く御園座に行きたくなってしまった。