斎藤一(さいとうはじめ)

 新選組三番隊長斎藤一の写真が見つかった。
http://www.general-museum.fks.ed.jp/01_exhibit/point/2016/160914_saitouhajime/160914_saitouhajime.html
 コラムニストの勝谷誠彦さんも斎藤一が一番気に入っていたそうな。何を隠そう、ワシャも斎藤一の一ファンなのである。
 この人、新選組の大幹部の中でも天寿を全うした数少ない人だった。水野忠邦が失脚し、阿部正弘が中央政界に登場した弘化元年(1844)に斎藤は江戸に生まれている。10歳の時にペリーが浦賀に来航。そこから幕末が始まり、思春期、青春をまさに維新の大混乱の中で過ごしている。新選組の結成が文久3年(1863)、この時、斎藤は20歳、まだまだ若いよね〜。しかし、結成時、副長助勤に抜擢されているから、腕はなかなかのものであった。それに近藤勇土方歳三に好かれる人柄も備えていた。写真を見る限り、実直で寡黙な若者をイメージできる。写真は54歳のときのものらしいから、当時で言えば老域に入っている。静かないい目をしている。人生をかけて山を守り続ける杣人のような穏やかな顔だ。若き日、京都で不逞浪士を問答無用に斬っていた壬生狼にはとうてい思えない。
 司馬遼太郎の『新選組血風録』の中に斎藤一はあちこちに顔を出す。全編を通じて土方、近藤、沖田につぐ出演になっている。「槍は宝蔵院流」では主人公として登場する。そこで司馬は斎藤をこう評価する。
《剣は沖田総司ほどの天才性はないが、真剣に度胸がある。》
 この話で斎藤は、宝蔵院流の槍の名手であり七番隊長の谷三十郎と対立をする。対立といっても、もともと権力欲のある谷が隊内政治に首を突っ込み、一人で躍り上がって、まもなく凋落をしていっただけのこと。ところが落ちた人間はどこかにその因を求めたい。谷はそれが斎藤だと思い込み、そのことから両者に遺恨が残った。
 道場稽古では、斎藤の刀は谷の槍に勝てなかった。しかし谷に「卑怯」と罵られ、斎藤は祇園の楼門で谷の通りかかるのを待ち、そこで決着をつけた。思えば単純な時代であった。

 斎藤は幕末維新、明治と生き抜いている。真剣で命のやりとりをしてきた人物である。年老いたとはいえ、その気迫は生半なものではなかったろう。
 斎藤の同僚の長倉新八のエピソードだが、足腰もふらつくような老域の長倉が繁華街で地回りどもに囲まれてしまった。長倉が杖を正眼に構えると、地回りどもは、その気迫に恐れおののき、逃げてしまったという。おそらく斎藤もそうであったろう。

 格好いいジジイになりたいものだ。