桜とタンポポ

 自転車道沿いの桜が満開である。その足元の草叢にタンポポも負けじと咲き乱れている。その黄色い絨毯も見事だ。去年、これほどたくさんのタンポポが群れ咲いていた記憶がないのだけれど、きっとそうだったんでしょうね。薄紅と黄、それに草の緑が相まってなにしろあでやかである。

 こんなニュースがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160405-00000013-mai-pol
 安全保障法制廃止を主張する野党議員の一部が、夏の参院選で新団体を設立して比例代表の候補を擁立するんだとさ。名前はイタリアの「オリーブの木」にあやかろうと「さくらの木」、あるいは「さくら連合」というのが名称候補に挙がっているらしい。
 しかし「さくらの木」って「桜木」のことでしょ。「花は桜木、人は武士」は散り際の美しいものということで、そういう意味からもっとも往生際の悪い集団が「さくらの木」っていうのも、なんだかなぁ。潔くはなさそうだが、すぐに散りそうなイメージはそのとおりか(笑)。
 もう一つの「さくら連合」というのも、音だけで聞くと「佐倉連合」っていう漢字を思い浮かべてしまう。関東に跋扈する暴走族の名のりのようではないか。どちらにしてもセンスがない。

《京は、春のたけなわであった。この宿陣からほど遠くない坊城通四条の角にある元祇園社の境内の桜が、満開になっている。きのう今日、壬生界隈は、花あかりがした。》
 司馬遼太郎燃えよ剣』の「四条大橋」の章の冒頭である。新選組が京の桜を初めて見たのは文久三年の三月だった。彼らはそれから5年を京で過ごし、6度目の桜はついに見られなかった。
 なにしろ「さくら」には「長期」というイメージがない。政治集団として息長くなっていこうとするなら「さくら」はないよね。「よ」を足して「さよくら」にした方がいいかも。

 さて、司馬遼太郎といえば「菜の花」というイメージが強い。しかしご本人は「菜の花」より「タンポポ」が好きだった。「俳句公論」で「お好きな春の花は?」というアンケートにこう答えている。
《土手の叢中に点々と灯をともしたように咲いているタンポポが、どういう花より好きです。小庭に、わが手で植えた花といえばタンポポだけです。つぎに好きなのは、菜の花で、他については、花よりも青き枝葉がよし。》

 おお、これだ。新団体名は「タンポポ連合」にすればいいじゃん。これなら暴走族には間違いられないし。