本に教えられたこと

 週末にちょいと気塞ぎなことがあって、それに花粉の飛散が激しいので、昨日はまったく家から出なかった。でもね、友人のパセリ君が訪ねてきた。中日新聞の記者である岡村淳司さんの『頂へ 藤井聡太を生んだもの』(中日新聞社)を届けてくれたのである。これが今月の課題図書なんですね。これはもう少し書棚で温めておくことにする。
 お茶を飲みながら、パセリ君にぐちぐちと愚痴をたれていたら、少し気分が晴れたのだった。そんなわけで午後からは書庫で、たまっていた未読本をさくさくと片づけた。

 週末に手をつけた藤波匠『「北の国から」で読む日本社会』(日本経済新聞社)も読み終えた。これもいい本だった。ワシャは倉本聰のシナリオやエッセイをほとんど読んでいる。そしてドラマ「北の国から」の熱烈な視聴者でもある。しかし倉本ドラマにこういった観方もあることを改めて教えられた。あのエピソードの背後にはこんな社会情勢があったんだなぁ。
 例えば、ひょうきんで周囲の人にやさしかった草太(岩城滉一)にいちゃんが、1998年の「時代」では人が変ったように周囲の農家に厳しくあたるようになる。それも社会の動きと密接に関わっている。その後、草太が大きな負債を抱えてまで拡張した農地を手放さなければならなくなったのも日本の農業政策の歪みに深くつながっている。

 また、別の点でも合点のいくことがあった。
 この本は昨年の11月以前に書かれているので、もちろん藤波氏が意図したことではない。が、第6章で「笠松杵次の死」を取り上げていた。これは「北の国から」の連続ドラマだった時の中盤の大きなヤマ場だった。

 主人公は老百姓の杵次(大友柳太郎)である。彼は周囲に同調することを好まず、時代遅れと言われながらもずっと馬で耕作をしてきた。今の馬とも18年連れ添っている。その馬を、金が必要になった娘の懇願もあって手離すことになる。馬を売ったその夜、五郎(田中邦衛)の家に立ち寄り、こんな愚痴ともつかないことを言う。
「迎えのトラックが来て、馬小屋から引き出したら、入り口で急に動かなくなって、おれの肩に首をこすりつけて涙をながしていた」
 その話をすると杵次も涙をこぼし、馬はもういないので自転車で帰っていった。その帰り道に杵次は川に落ちて死んだ。

 北海道農業の大規模化に取り残された貧農の悲劇ともとれるが、ワシャには1月に自栽で亡くなられた評論家の西部邁さんと重なった。西部さんは言っておられた。
「これ以上生きていたら、自分の精神が苦しみに飲み込まれてしまう、あるいは、精神が精神とも言えないものになってしまう。そうしたことを予期したら、少し早めに死を選ぶということです」
 この前言を見事に実践されたのが西部さんである。
 このことを踏まえると、ずっと事故死だと思っていた杵次の死は、あるいは「自死」であったのかも……と思ったのである。そして北海道の過酷な土地と馬と共に戦ってきた杵次の終焉としては、馬を手離したその夜というのが絶好のタイミングだったのではと思う。
 杵次の死は悲しいものとばかり思い込んでいた。37年もそう思っていた。でも、そうではなかったのかもしれない。杵次は納得ずくで馬とともに逝ったとも考えられる。

 本は新たなことを気づかせてくれる水先案内でもある。