理想の逝き方

「文藝春秋」3月号に「安楽死は是か非か」という特集があった。この特集の直前のページが伊集院静氏の「文字に美はありや」という書についての連載エッセイで、今回はとびきりおもしろくて目を引き付けられてしまった。今月号で取り上げられたが、立川談志古今亭志ん生ビートたけしの書だった。インパクトがあったなぁ。これに比べると、表紙に坂東眞理子とか丹羽宇一郎の写真が載っている重たいテーマの特集記事に食指は動かされなかった。後回しにされても仕方ないですよね。
 この特集、12月号の「私は安楽死で逝きたい」という橋田壽賀子氏の論考がベースとなっている。著名人60人に安楽死の是非を問うたもので、だからなかなかページを開かなかった。でもね、読書の師匠から「本は(雑誌も)全部を読む必要はないが、パラパラとめくっておく必要はある。その時に何かしらに当たることもあるから」と言われていて、基本的にそれを守っている。だから暇な時にパラパラマンガを見るようにページを送っていると、目に引っ掛かるものがあった。「倉本聰」という活字があったのである。倉本さんがアンケートに回答を出しておられた。アンケートの選択は「安楽死に賛成」「尊厳死に限り賛成」「安楽死尊厳死に反対」の三択。82歳の倉本さんは、安楽死に賛成している。《死というものに、もはや恐れは抱いていません。これまでの自分の生に対して、もはや自分は納得しています。》と理由を述べられている。ううむ……中途半端な生き方しかしてこなかったワシャにはとても言えない。
 ふとページの下に目を移すと「呉智英」という活字が目に入る。アンケートはアイウエオ順だったから「くら」「くれ」と続いたんですね。呉さんもアンケートに答えられていたのか。

 話が脇に逸れるが、1年前の今日、ワシャは名古屋で倉本さんと握手をした。富良野グループの公演「屋根」の後でのサイン会でである。呉さんには、その3か月後に、出版記念会とその打ち上げの宴会でご一緒させていただいた。昨年、ご縁のあったお二人が名前が並んでいることが、なぜかうれしい。

 話をもどす。「文藝春秋」の特集だった。呉さんも「安楽死に賛成」と言われる。記事を読むと、ご母堂を昨年の末に亡くされたことが付記してある。その時の体験も含めての回答になっている。
《母の最期を思い出すにつけ、私自身も安楽死で逝きたいと思います。》
 倉本さんも、呉さんもすごいなぁ。こうも昂然と死に対峙できるとは。ワシャはもともと根性なしの上、生き様もテーホヘテホヘと過ごしてきたので、生を仕舞うということに関して極めて臆病だ。とてもではないが「死」を自ら選択するなどということはできそうもない。
 そういう意味からすれば、横尾忠則さんの回答《安楽死尊厳死に反対。生き物は全て自然死するようになっている。人間だけが特別ではない。最期を自覚することでその人間のカルマが生産されると考えれば、あえて死を全うするのが生の最終目的ではないのか》に消極的に賛同したい。