メメント・モリ

 昨日、名古屋某所にて「哲学講座」が開催された。テーマは「死」である。ううむ、上天気の土曜の午後、マンションの一室で10人ばかりの大人が集って、「自殺」、「安楽死」、「老い」、「心身二元論」、「尊厳死」などについて、まじめに議論をしているのは、なんだか秘密結社みたいで楽しい。

 のっけは、安藤泰至『安楽死尊厳死を語る前に知っておきたいこと』(岩波ブックレット)から始まった。講師は、まずナチスの「安楽死法」を提示する。

 

第1条 不治の病にあり、本人自身または他人に対して重大な負担を負わせている者、もしくは死にいたることが確実な病にある者は、当人の明確な要請に基づき、かつ特別な権限を与えられた医師の同意を得た上で、医師による致死扶助を得ることができる。

 

 出自を秘して、どこの国の法かと問うと、若者たちは「アメリカ?」あるいは「オランダ?」と答えるそうな。ここから話を起こして、橋田壽賀子安楽死で死なせてください』(文春新書)から、橋田氏が、スイスの自殺幇助団体に参加しており、最後には、スイスにわたって安楽死を選択することが紹介される。全費用が渡航費やら会費やらで、自分の介添え人の分まで計算しても100万円程度のことであるから、橋田氏でなくとも実行に移せる額であることが語られた。現実に、この団体等の幇助で、2010年の段階で1000人を超える人間が自殺しているらしいから、現在の数はもっと多いことは間違いない。

 そして、最近、ベストセラーになっているシェリー・ケーガン『「死」とは何か』(文響社)にそって講義が進む。

「死が悪いこととされている理由は、今後に起きる良いことの可能性が剥奪されてしまうから」

「自分が満足するまで生き・・・」

 これが橋田氏の到達した心境だと思う。

「・・・妥当な理由があり、必要な情報も揃っていて、自分の意志で行動しているならば、自殺という選択肢が正当になることもある」

 ここでは、先般、自死でお亡くなりになられた西部邁氏の話にも及んだが、西部氏の死は、周囲の人に「自殺幇助」というかたちで迷惑をかけてしまったことがまずかったという結論になった。ただしワシャ的には、幇助した弟子たちは前科がつこうが、それはそれで満足ではなかったろうか。

 

 まだまだ、講義の話は続くのだが、もうそろそろワシャが出かける時間になってしまった。日曜日というのに、朝から役務が待っている。う~む、因果な商売を選んでしまったようだ(笑)。

 ただ、ワシャにとっても「死」というのは死ぬまで続く生涯のテーマだと思っている。「死」に関する本も書棚に何列も並んでいる。

 この講義、テーマについては、時間のある時にもう少し深めたい。