脚下照顧

 昨日、ちょいとした私事があってJRで遠出をした。美濃国不破郡南宮大社という一宮があり、そこでありがた〜い祝詞を申し上げた。祭神は「金山彦命」(かなやまひこのみこと)「彦火火出見命」(ひこほほでみのみこと)」「見野命」(みののみこと)。社格は旧国幣大社。社殿は養老山地と伊吹山系に挟まれた関ヶ原東の山の端にある。
 ここですね。
http://www.nangu-san.com/

 それはさておき、向かうJRの中でワシャは読売新聞を読んでいた。そこで編集委員の芥川喜好氏の「時の余白に」という文章に出くわした。今回のお題は「上を向くより足下を掘れ」。今回は……と言ったけれど、前回を知らないし、芥川氏も存じ上げない。
その文章の中で、芥川氏は「源信」の話を取り上げる。文章が《実は「源信の母」には、源信の生涯にかかわる重要な挿話があります。》で始まっている。つまりこの前回にも「源信」についての言及があったものと思われるが、ワシャはそれを読んでいないし、電車の中ではどうしようもない。なにしろ続き話の途中を読んでいるということですな。
 さて、源信である。この人は平安中期の天台宗の僧侶で『往生要集』を著したことで有名。おそらく源信がいなければ「地獄思想」というものは日本に定着していなかっただろう。仏教的には極めて重要な位置にいる人物である。
 その人の挿話が『今昔物語』の中にあり、それを紹介している。巻第十五第三十九「源信僧都母尼往生語」(げんしんそうづのははのあまおうじょうすること)。話は、源信が殿上人に講義などをした際に捧げものをご下賜された。殿上人からの品である。源信は喜んで「ついに私も殿上人とお付き合いできるところまで出世いたしましたよ」と捧げものの品々を母に贈った。ところが母は激怒した。
「私がそなたを比叡山に登らせたは、学問をしてりっぱな才知をつけ、聖人になって欲しいからですよ。高名な僧になって貴族にちやほやされることを望んでいるとしたら私の期待に反したことです」
 と、母は源信の俗世での出世を否定してしまった。
 この母の言葉に猛省をした源信は、上昇志向の道を外れ、研究・精進に没頭し日本文化史上の遺産である『往生要集』を残した。

 この後に続くのが、画家の藤島武二と弟子の小堀四郎の話である。僧にも出世があるように、画家にも出世がある。当時の画壇において藤島は出世し随一の実力者と言っていいだろう。しかし、彼は政治が画壇に介入することを嫌い、若手画家たちを軍部の魔手から救おうと働いた。藤島が才能を認めた小堀に対しては「本当に絵を追求するなら画壇をはなれて一人になれ。人間をつくれ」と忠告し、良き弟子である小堀はそれを忠実に守って、中央画壇とは縁を切って孤独で自由な政策を続ける。その結果が彼のアトリエにあるという。見てみたいなぁ……と思った。

 岡本太郎と、彼に見出された現代美術家の村上善男(盛岡市)の話もそうだ。若き村上は岡本に「東京で働きながら美術に専念したい」と懇願するが、岡本は「お前はそこで闘え」と叱咤する。そして盛岡、仙台、弘前などで創作活動を続ける。

 その他にも作家の有島武郎と画家の木田金次郎の話とか、いろいろな例が示されている。

 ううむ……この年になって、今更感がなきにしもあらずだが、「上を向くより足下を掘れ」ってか。でも、少し感銘を受けている。
 朝日新聞より読売新聞のほうがいいかなぁ〜。