面従腹背その1

「AERA」の前号に前文部科学省事務次官前川喜平氏の言い訳が載っている。突っ込みどころ満載で読み物としてはおもしろかった。でもね、タイトルを見て悲しくなってしまった。
面従腹背38年、役人から個人に戻る」
 加計学園獣医学部新設については、テレビや新聞で大騒ぎになったから大方の国民の知るところになっている。このことに関して前川氏の正否などどうでもいい。それよりも38年も面従腹背をしてきた前川氏の生き方に疑問を持った。そのことについてちょっと言いたい。

 前川氏、奈良県の山林地主の家に生まれる。「前川のボンボン」と呼ばれて育ったそうな。前川氏の幼少期は高度経済成長の最中であり、全国で材木需要が急上昇している時期である。「一雨千両」、一雨降ると樹が成長し、雨ごとに千両ずつ儲かったそうだ。余った金は大阪の相場に流れ、土地持ち山林持ちがさらに太っていった時代だった。
 前川氏は、「友達と喧嘩すると(相手の)親が謝りに来た」という。まさに前川家は大地主、地域の権力者の家なのである。昭和の中ごろはまだまだ地域に身分制度があった。裕福な家に生まれた前川氏は郎党に傅かれて何不自由なく育つ。学習環境がそろっていれば成績も優秀に決まっている。父親の事業の関連で東京に引っ越し、麻布中学・高校から東京大学法学部と進み、文部科学省の官僚になる。
 小学校でいじめにあったという小さな苦労話も披露されているが、まあ、どう見てもお坊ちゃんの悠々自適の人生ですな。
 さて、お坊ちゃん、文科省に入って燃える。第1次安倍内閣で「愛国心教育」が打ち出されると「日本の伝統文化の尊重」に対抗し「他国の尊重」を盛り込むことに血道をあげる。それは成功したらしく「国粋的な色彩を薄めた」と自負している。政権には面従腹背だけど、日教組には従順だった。
「義務教育費の削減は道理が通らない」
「クビと引き換えに義務教育が守れるなら本望」
 という発言もあるけれど、これも面従腹背というより日教組寄りの発言をしていたと見る方がよさそうだ。事実、「AERA」の中で、「日教組の弱体化が始まって政治の口出しが始まった」と本音を吐露している。「教育行政は内側からチェックする健全な勢力が必要」とまで言っている。政治主導ではなく、日教組などの力を復活させろと言っている。政治的な影響を排除して暴走していった戦前の軍部のように官僚主導にしたい……図らずも前川氏はそう言っている。(つづく)