女優の斎藤由貴の「不倫騒ぎ」で釈明会見が開かれた。100人もの報道陣が集まって、それこそテレビなんか一時期、そのニュースでてんこ盛りだった。
活字を読まなきゃ理解できない週刊誌ならいざしらず、動画などで印象操作できるテレビで連日流し続けるなど愚の骨頂。
斎藤由貴さんは芸能人なんですぞ。極めて高い倫理性を求められる政治家とはまったく違う生き物と考えるべきだろう。名前も出てこないけれど、スピードのボーカルやってて政治家に転身したネーチャン、あれの「不倫騒動」とは本質的に別物だということをマスコミも国民ももっと認識するべきだ。
そもそも芸能人は選良ではない。半端ものだから芸能に身をやつしている。だから歌舞伎役者にしろ落語家にしろ、舞台で客に深々とお辞儀をする。それは、一段高いところで演じさせていただいているが、役者はお客様より一段低い身分なのだということを(ポーズにしろ)自覚しているからである。
夕べBSで「男はつらいよ」の第18作をやっていた。そこに旅回りの芸人一座が登場する。旅を稼業とするもの同士、ところどころで寅次郎と遭遇するんでしょうね。その都度、見栄坊の寅さんは役者衆に、祝儀や酒をふるまう。そうなれば寅さんはご贔屓筋である。役者衆は「先生、先生」と呼び慕うのである。
車寅次郎、昭和のテキヤである。今はどうなのか知らないけれど、少なくとも寅さんは社会の底辺に生きていた。その寅さんよりも更に下にドサ回りの役者衆の立ち位置があった。
リリーだってそうさ。彼女はドサ回りの歌手だった。リリーは運なくスポットライトを浴びられなかったが、斎藤由貴は若くしてスポットライトが当たり、スターになっていったというだけのこと。国民というと大袈裟だけど、多くの人が「スケバン刑事」を楽しみ、斎藤由貴のあまりうまくない歌声をテレビで聴いていたのではないか。最近はコマーシャルでもたまにしか見なくなったし、せいぜい雛壇芸人にまじって笑っていたくらいではないのか。しかし、この叩かれようだ。
スピードのネーチャンは国会議員である。そもそも我々の税金で食っている。叩かれて当たり前だ。ところが斎藤由貴は自分で稼いでいる。この両者を区別できないところに、日本人の気楽さがある。繰り返す。芸人はもともとが半端ものなのだ。色恋だってしてなんぼの者と考えたほうがいい。
火野正平だって、昔はあちこちで浮名を流したが、今は全国を自転車で走り回って、すっかりいいオジサンになっている。
芸を育てるというのは長〜い時間がかかるのだ。些細なこととは言わないが、手をつないだ写真ぐらいでそこまで叩くか、アホマスコミよ。