ワシャは、今、三つぐらい不義理をしていて、ほとぼりが冷めるのを待っている状態です。とほほ。
「お頭、ほとぼりが冷めるまで箱根あたりで骨を休めていておくんなさい」
「バカ野郎!鬼平が怖くって江戸を離れるなんてぇことができると思っていやあがるのか」
「しかし相手が悪うございますよ」
「鬼平が怖くって鬼まんが食えるかってんだ」
という時につかう「ほとぼり」だが、それにしても「ほとぼり」ってなんだろう。
辞書的には「熱」のことと書いてある。古くは「ほとほり」とか「ほとおり」と言ったらしい。『日本書紀』の神代紀に出てくると『広辞苑』にある。
ここからはワルシャワの浅知恵で。
「ほと」というと『古事記』にも出てくるけれど女陰(ほと)のことですよね。イザナギが火の神のカグツチを産んだため陰部に熱傷を負い亡くなってしまう。そういうことから言えば「熱」と「ほと」ならそれほど遠くない……ってかなりいい加減です。
「おり」「ほり」は何か。「折」なら季節であり、季節を重ねること、時間が経過すること。ならば「熱」を過ごすことで「熱を冷ます」と解することにはそれほど無理ではなかろう(無理無理)。
「ほり」はどうか。「掘」ならば土中から埋まっているものを取り出すことであり、「彫」であればきざむ、彫刻する、という意味になる。意訳をすれば、「ほとの中に埋まっているものを取り出す、きざむ」というようなことか。
つまり「ほとぼり」はその語だけで「熱を冷ます」という意味をもっており、「ほとぼりを冷ます」は「女陰にこもった熱を冷ます」ってなことかぁ?
上のワルシャワ説は間違いでした(謝)。
出まかせを書いているうちに、本棚に語源辞典があったことを思い出した。早く思い出せよ。『語源辞典』(講談社)によれば、「ほとぼり」とは「ホ(火)+トホリ(通り)」で、「火(熱)」が体を「通って」表面に出てくることであった。
「火」を「ほ」と読むのは「ほのお」とか「ほむら」、「火照る」などとも言いますからね。
「火通り」を「女陰掘り」と読むとは、ワシャもまだまだ若いのう(笑)。
ほとぼりが冷めるまで、ちいっとばかし大人しくしておくべえか。