くまのプーさん

 この日記に劉暁波氏のことが初出するのは2010年10月9日のことである。劉氏がノーベル平和賞を受賞した時期だった。あれから7年、ずっと劉さんは留置・軟禁・監視され続け、ガンが悪化しても放置され、今回の悲報につながる。
 支那中国の民主化はほぼ止めをさされたのではないか。チベットがそうだった。ウイグル内モンゴルも。そのことを考えれば中国共産党が劉氏を解放するはずがなかったし、死してなお、その骨の存在さえも許さず当局の強制的な散骨となった。彼の国、おそらく百年経っても変わらない。

 2010年のノーベル平和賞の授賞式に代読された劉氏のメッセージの冒頭である。
《私はこの年(天安門事件の年)、米国から戻って民主化運動に参加し、「反革命宣伝扇動罪」で投獄された。そして今また、私を敵と見なす政権の意識によって被告席に押し込まれている。》
 そうだった。劉氏は天安門で当局に捕まっていた。7年どころじゃない。足かけ30年も中国共産党から苛まれ続けてきたのだ。
 劉氏がノーベル平和賞を授賞するのは獄中でである。もちろん中共オスロで開催される式に劉氏を出席させるわけがない。それどころか中共は「孔子平和賞」を創設し、ノーベル平和賞に対抗するのだが、あまりに馬鹿らしく、あさましくて開いた口がふさがらない。孔子が泣いているぞ。
 それでも劉氏は希望を失わない。彼のメッセージは続く。
《私は私の国が自由に表現できる大地であってほしいと思う。》
 そのとおりだ。尊敬すべき歴史(とくに古代以前だが)を持つ支那文明は、21世紀においてもっとも先頭をゆく自由な国であって欲しい。
《そこでは異なる価値観、思想、信仰、政治的見解が互いに競い合い、共存できる。多数意見と少数意見が平等の保障を得て、権力を担う者と異なる政治的見解も十分な尊重と保護を得ることができる。すべての国民が何のおそれもなく政治的な意見を発表し、迫害を受けたりしない。》
 劉氏の言われるとおりだ。しかし、残念ながら習金平率いる中共はそうではない。最悪の毛沢東の時代以下に戻ろうとしている。
 民主活動家といってもなんの権力ももたない劉氏は「王様は裸だ!」と言っただけである。それで囚われることとなり、病になってもろくな手当も受けずに獄死した。遺体はすぐさま焼却(火葬などという敬意がこめられているとはとても思えない)され、遺骨は粉砕され、海に撒かれた。これがまともな文明国のすることだろうか。
 中共は最新の医療を施した、遺族の意向に基づいて対応した、と言っているようだが、そんなことをする体制かどうか。チベットウイグル内モンゴル、各少数民族、民主活動家などに対し火のような迫害をしておきながら、どの口で言う。
 命をかけて中共と闘い抜いた劉氏に敬意を表したい。

 さて、タイトルの話である。支那共産党は習金平の体型が似ているという理由だけで、「くまのプーさん」がネットで検閲を受け、検索できなくなっている。
《中国のネットで「くまのプーさん」が検閲される理由》
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170717-00000028-jij_afp-int
 くまのプーさんですよ(泣)。彼の国の体制がいかに歪で不自由であることか。日本で左系が「アベシネー!」なんて言っているが、言論の自由な国でよかったね。