ブータンの笑顔

ブータンの笑顔』という写真紀行を持っている。
https://bookmeter.com/books/6865517
著者は関健作氏、ブータンの小中学校で教鞭を執りながら、写真も撮りながら。
 表紙はケザンというブータンの女の子である。いい笑顔だ。日本の学校にもいそうな顔立ちで親近感が持てる。ブータンの人びとって日本人ととても近いような気がする。そんな感情も手伝って、全編の写真に写る人々の笑顔から匂い立つような幸福が感じられた。さすが幸福度の高いお国柄のことはある。
 ブータンという国名の語源は、「チベットの端」という意味を持っているそうだ。9世紀にチベット族が南下して王国を築いて「チベットの端」と名乗り始めた。以降、端っこで存続し、だから文化についてもチベットの影響を強く受け、宗教もチベット仏教を信奉している。まさにチベットと一体の圏域文化を持っている国と言っていい。
19世紀の半ばからイギリスの保護をうけ、1949年以降はインドの保護国となっている。
 よかったね、ブータン、イギリスとインドの保護で。これが支那だとしたら、ブータン人民解放軍に占領され、知識人や僧侶は虐殺され、女は犯され、若者は奴隷にされていただろう。中国共産党に抗議した国民の何人が焼身していたことだろう。
 辛うじて、ヒマラヤの急峻な山々とイギリスの占領が支那の南侵を食い止めた。そうでなければ、子供たちの笑顔も見られないし、もちろん幸福度などという言葉か冠されることもなかった。
 残念ながら、ブータンの本家のチベットはやられてしまった。地獄になった。チベット仏教は、宗教を許さない共産主義の下で恐ろしい迫害にあっている。ウイグルでもナチスの蛮行同様のホロコーストが行われているのだ。それに先行するチベットの状況は、さらに悲惨な地獄の有様なのだろう。

 素敵な本の紹介をするつもりだったのだが、幸福の国の200キロ北、東京と福島ほどの位置ある地獄のチベットに思いが迸っている。まぁこのままいこう。

まさに人民解放軍占領されたチベットは、この世の地獄と化した。チベット仏教の高僧たちが、宗教を指導しているという理由だけで(あるいは他に濡れ衣を着させられたのかもしれないが)、次々と公開処刑されていった。これが、1950年のチベット侵攻以降ずっと続いている。子供たちはチベットの文化・歴史・言語を取り上げられて、洗脳教育を施されていく。このまま進めば古代よりチベットに花ひらいた仏教文化は完全に破壊されるだろう。これが地獄以外の何と言えばいいのだろう。
当時から、中国共産党ダライ・ラマ猊下に対して「国家分裂主義者で反逆者」というレッテルを貼ってきた。なにを言っていやあがる、という話だが、共産主義者というのはまったく進歩のない連中だなぁ。昨日、触れたノーベル平和賞受賞の劉暁波氏についても「国家反逆罪」で投獄し、獄死に至らしめたのはつい最近のことである。もう中国共産党はこんなことを60年も相も変わらず続けてきた。
アメリカの作家のマイケル・ダナムは中国共産党をこう指摘する。
「初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる。既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理としていく」
これが中共のやり口なのである。
それはチベットでもウイグルでも内モンゴルでも……そして尖閣でも同じ手口だ。このことからも、沖縄をチベットとしないためにも、日本は中国共産党に寸土と言えども渡してはならない。アメリカのポチと言われようとも(ワシャはそうは思っていないけれど)、自由を謳歌できる国日本を、自由を叫べば「国家反逆罪」で投獄されるような国にしてはならない。このことが、サヨクの連中に理解できないということが理解できんわい。
あいつらの真意は沖縄を、日本を、チベットウイグルのようにしたいということなのだろう。実際にチベット侵略の前には、まず自国を貶める連中が現われて、自虐国家観を唱え始めて、中国共産党人民解放軍を自国内に迎え入れた。前の翁長県知事がやってきたことがみんなチベットで起きていた。そして地獄がやってくる。
まず国旗、国歌に対して不敬をはたらく連中は、まちがいなくチベット中共に売った奴らと同じだと思えば間違いない。こういうことを言うと、奴らは「お前らは極右だ!」と叫ぶのだが、極右でもいいよ。沖縄や日本を今のチベットにしないためなら、なんと言われようとかまわない。よく考えろよ、左巻きチベット中共の手先になって国旗や国風、国そのものを否定した奴らが愛国者で、ダライ・ラマ猊下が反逆者のわけがないではないか。

かつて司馬遼太郎が「中国は少し大きすぎますね。フランスくらいの国の大きさがいいのではないでしょうか」と言っていた。そのとおりで、何事も適正なサイズというものがある。いかにも16億は多過ぎだろう。ただフランス程度にすると支那中国は20個くらいの国に別れなければならなくなるから、それも大変だから、まぁ、チベット国、ウイグル国、内モンゴル国、満洲国、魏、呉、蜀の7つくらいに解れたほうがいい。そうすればそれぞれの国家が目の届く範囲の国民に対して福祉や行政を執って、個性を発揮しのびのびと経済的な競争していけばいい。そうなれば21世紀を東アジアの世紀にするくらいのインパクトを与えるだろう。
いつまでも肥え太った国がいいとおもっているところが、支那が古代のまま成長していないと言われる所以なのだ。司馬さんに言わせれば、「中国は古代のほうが溌剌としていましたね」といことなのである。今、大陸にある国家は大いなる停滞の中に惰眠を貪っている。

 長くなったが、支那の頸木にはまったチベットが地獄に落とされ、その枠外で生き延びたブータンが幸福度ナンバー1の国になっている現実を直視しよう。このことが端的に、そして明確に中国共産党の誤りを指摘している。